2019年5月13日月曜日

OCS(男のクッキングサークル)山菜を食べる会

OCS(男のクッキングサークル)と称して、旨いものを求めて各地を食べ歩き、ゴルフを楽しんだりと一寸(かなり?)贅沢なサークルです。

ゴルフには何度か参加させて頂いていたが、山菜を食べる会に声を掛けて頂き初めての参加です。

                 今回の会場はこちら  ↓
 
今回の参加人数は9名で大人の遠足の始まりです。
 
福島駅に集合して奥羽本線で16:04発、米沢行きの普通列車に乗り込み、約30分程で無人の峠駅に到着。
 
この駅に降り立ったのは、中学時代ここ【峠スキー場】に通って以来で凄く懐かしく感じました。
奥羽本線 峠駅
駅を下りて徒歩約4~5分程の高台に【峠の茶屋 江川】がある。
 
まず最初に出てきたのが、鯉の甘煮。
 
峠駅の先、山形県米沢市でも多く知られている絶品です。
鯉の甘煮
続いてはワラビの醤油漬け。
 
全く筋がなく口の中にとろけるような感じでこれまた絶品。
ワラビの醤油漬け
 今度は山菜の小鉢セット。
 
上段左から、シドキ ウド ウルイ
中段左から、アイコ フキ イワダラ
下段左から、コゴミ クレソン ドホナ
今の時期ならの小鉢セット
鍋物はタケノコとジャガイモの煮物。
 
料理が出てくる度に写真撮影やメモを取る参加者。
参加者
そして【タラの芽】、【蕗の薹】の天ぷら
タラの芽の天ぷら
わさび菜入りの蕎麦。
わさび菜入りの手打ち蕎麦
最後に牛肉入り筍ご飯。
 
どれもこれも量が多く、殆どの方は食べきれずお持ち帰り。
 
19:00丁度発福島行きの列車に乗るため満腹の腹を抱えながらお店を出る。
お持ち帰りを手に家路に
帰りの電車の中では次回のゴルフの打ち合わせで、5月16日に決定。
 
こんな素晴らしい方々とご一緒させて頂き、贅沢出来るのも元気で居れればこその感謝です。
 
 

 

2019年4月20日土曜日

エクシブ山中湖と【ギャラリー&カフェ クルール】

約一ヶ月前からか【エクシブ山中湖】予約をして4月17~19日の三ヶ日間、車で出かけて来ました。

自宅を朝8時に出発し、東北自動車道を利用して久喜JCT→圏央自動車道八王子JCT→中央自動車道大月インターから山越えの一般道路を通り、午後3時過ぎ曇り空の目的地【エクシブ山中湖】に到着。

期待していた富士山は曇り空に隠れたり、うっすらと浮かび上がったりの繰り返し。
ホテルの窓から望む富士
頼んでおいたホテルご自慢のフルコースを満喫。
 
 
 
明日は晴れることを願って就寝。
小上がり付きの広々とした部屋
 
 期待通りすっきり晴れ渡り、日本料理 花木鳥で富士山が真っ正面に見える席に案内され朝食。
すだれ越しに見える富士も格別
 
和食善
 今回も又、新しい出会いがあり、楽しさが倍増。

山中湖写真ワークショップ&ギャラリー主宰、冨塚 裕子氏と写真家のご主人に出会い、そのポストカードを頂き、山中湖遊覧(水陸両用 カバ バス)後、2019年 冨塚裕子写真展【朝な夕なに ~ふじさんと~】と題した会場、ギャラリー&カフェ クルールに立ち寄る事に。


頂いたポストカード

水陸両用 カバ バス
昨日と打って変わって快晴に恵まれ、ビニールの窓をまくり上げ湖面に映る富士山に大満足。
湖面に映る逆さ富士
快晴の山中湖と富士山を満喫し、ギャラリー&カフェ クルールに到着。
ギャラリー&カフェ クルール
駐車場に迫ってくるような迫力の富士山。
クルール駐車場から望む富士山
素晴らしい冨塚裕子さんの写真展を鑑賞させて頂きました。
2019年 冨塚裕子さん写真展
コーヒーを頂き、ステンドグラス、ベネチアングラスなどの小物が所狭しと並んでいる店内を見せて頂き妻お気に入りの時計を購入。
素敵なカウンター

女性が欲しがる小物が一杯
 
撮り置き写真を纏めて見ました。



購入した時計。

早速自宅玄関に飾りました。
玄関に
ご主人と奥様に見送られ、高速、山中湖IC→八王子→久喜JCT→東北道を通り、今夜の宿泊地栃木県エピナール那須に到着。

友人の計らいで特別広々とした角部屋に。
那須連峰を見渡せる角部屋
天然温泉で疲れを癒やし就寝。

三日目の朝はゆっくり朝食を頂き、少し戻って妻は初めての東部ワールドスクウェアに。
満開の桜と新緑のワールドスクウェア
ここからは撮り置き写真を【この素晴らしき世界】【ニューヨークの幻】の音楽で、世界一周の旅でを。


そしてこんな写真を撮ることも出来ました。
巨大蜂???
帰りは山道、奥会津を通って会津若松経由で午後7時過ぎ帰宅。

約1、080㎞でした。

2017年10月17日~8日間、【エクシブ鳴門】に出かけた時よりも近場なので、何となくゆったりとした気分で過ごせ、今回もとても素敵な出会いがあり楽しい旅でした。

又、何時か何処かでお会い出来る事を願って・・・・・・・・・

2019年4月11日木曜日

雪と桜

4月10日・11日と冷え込み、季節外れの雪に見舞われた。
一面真っ白
三日前は22度前後の今年最高気温にもかかわらず、満開になった桜も寒さに耐えているようです。
雪に覆われた桜

自宅近くの河川敷き桜並木も近年見たこともない光景にビックリ。
 
河川敷きの桜並木

遠く吾妻連峰の雪うさぎもすっかり姿を消してしまいました。
吾妻連峰
消えてしまった雪うさぎ
未だ春は遠く感じます。

2019年1月29日火曜日

元古川商業高校 女子バレーボール部監督 国分秀男氏

             夢を見て
               夢を追いかけ
                      夢を食う
著書
今まで私的な交流は続いていたが、今回、妻も含め仕事上の新年会に宮城県古川から郡山の会場に出席して頂きました。
ミキ グループ大和新年会、一班約600名、二班約500名で二班に出席
彼は同じ福島出身で、学年も同じで約2キロ程離れた町育ち、私は当時の村育ち。
昭和25年、野田村立野田小学校入学時の私
福島唯一の進学高校を卒業後、慶應義塾大学に進まれて教員の資格を得、京浜女子商業高校(現白鵬女子高校)から宮城県古川商業に奉職され、商業科で教鞭を執る傍ら女子バレーボール部を指導し、全国優勝10回の偉業を達成。

高校時代敵対するバレーボール部に所属し、何度も対戦した過去があり、学力は云うまでもなく〝月とスッポン〟だが、バレーボールでは一度も負けたことがなく、インターハイ全国大会・国体・オールジャパン(全日本選手権)と経験させて頂きました。
 
1960年(昭和35年)高校2年生の時、全日本選手権出場(大阪府立体育館)
 各県の代表チームで、社会人・大学生・高校生が対象で高校は2校だけでした。
 
この中にあの有名な世界一の名セッター〝猫田勝敏選手〟や世界一の大砲〝大古誠司選手〟もいた事を後に知る。
 
【猫田 勝敏】
奇策「天井サーブ」を編み出した猫田勝敏選手
1944年広島県安佐郡安子市町(現広島市)に生まれ、小学生の頃からバレーボールを始め、バレーボールの名門・崇徳高校に入学し、名将・稲葉監督の下で本格的にセッターを目指す。
JTサンダースに入部し翌年の1963年に初の全日本入り果たし、1964年東京オリンピックに出場し銅メダルを獲得。後の1972年ミューヘンオリンピックで念願の金メダルを獲得。
1983年胃の悪性腫瘍のため39才の若さでこの世を去る。
闘病中の言葉に「かあちゃん、すまん」という言葉を残し、幻覚症状の出た死の直前の病床でも、ブロックサインを出し続けたといわれる。
 
           最期の言葉は「後1本....、後1本.....」であったという。
開会式(向かって左に秋田市役所、右に日立茨城)背の小さい私は後ろから二番目

今までに見たこともない大きな体育館に圧倒され、震えながら行進した記憶が蘇って来ますね。
 
その時はこれから先、二度と来ることはなかろうと、体育館正面の大きなボールのモニメント前で記念の写真を大阪に務めていた先輩が撮ってくれました。
 
スリッパ姿は出発前レシーブの練習中、床に転がっていたボールを踏んでしまい、右足を捻挫して腫れ上がり、靴が全く履けず松葉杖をついて、新幹線も未だ無い時代に急行・特急などを乗り継いで10時間以上だったろうか、痛みと疲れに耐えて宿に着いたのを思い出されます。
 
入場式と試合まで少し時間があり痛みも腫れも少し良くなり、入場行進には何とか出ることも出来、試合の途中でも監督の采配で出させて頂きました。
体育間正面で
因みに、その29回大会男子優勝は日本鋼管、準優勝は明治大学。女子優勝は日紡貝塚、準優勝は倉紡倉敷でした。
 
4年後の1964年(昭和39年)、その時の選手達が活躍され東京オリンピックで、男子は銅メダル、女子は東洋の魔女と恐れられて金メダルを獲得。
 
インターハイの全国大会では、後に彼が赴任する古川商業に一回戦で破れた事、小・中学校の7年先輩の妻等々、不思議な巡り合わせの3人です。
2001年、宮城国体
春高バレー2連覇
1999春高バレー優勝
 



監督は試合中タイムを取る権利を与えられ、劣勢を立て直す事が出来る。

日本にも、世界にもサーブ権を取ってタイムを取る監督はいないが、彼はサーブ権を取ったときにタイムを取る。

サーブ権を取られた時しかタイムを取らないかを、逆に質問したいという。

サーブ権を取られてタイムを取ると、ゲームが再開されたとき、敵のサーブから始まり、味方はバレーボールで最も技術的に難しいといわれるサーブレシーブから始まり、相手に指導権を握らせたままゲームが再開するのは得策ではないともいう。

当時は〝9人制〟だったレシーブ屋?(私)には納得出来る策だ・・・・・・詳しくは著書を。

全日本で活躍した【菅山かおる】【結城てり江】等、多くの選手を育て上げたのも、10回の優勝を遂げたのもそんな手腕にあったのか?

バレー部の寮を建てよう!!
1974年、結城を含め5人の新人が入部することになり、故、鎌田茂事務長に保証人になって頂き、地元の銀行に頼んで土地を買い、8畳間5つの部屋と食堂そして小さな風呂場の付いた平屋の木造住宅を建てるのが自分の限度だったとか、長野県塩尻市にある妻の実家が見かねてブドウ畑の一部を売って援助してくれて、結婚3年目、古川にきて2年目の春から選手との共同生活の始まりと聞く。

著書の中で【結城てり江】をスカウトする経緯や、医務室で寝泊まりしていた時代、仕事中、体調を崩して亡くなってしまった見知らぬ若い女性が運ばれ、ロウソク・お線香を絶やさず一夜を明かしたくだりは、彼の実直さを物語る・・・・・・・

全日本で活躍の【菅山かおる】選手



ご縁があって今年の6月に行われるミキのセミナー講師としてご講演を頂く事になっています。

2019年1月7日月曜日

新潟県村上市名産【塩引き】を訪ねて

昨年末、妻とテレビを見ていたら村上の塩引きが報道されていて、顔を見合わせ思わず行って見ようとなった。

以前訪れた際、ホテルの玄関やお店の軒先に干してあり、その【塩引き】の知識は多少あったものの、買って帰る程の興味はなかった。

又、素人が思うには腹の中程を残して、何故喉から肛門まで裂かないのかがとても疑問でした。

その理由は、村上が城下町であった名残で、いわゆる「切腹」を嫌い、一箇所つなげていると言われているようですよ!!
塩引き
そして毎月、2と7のつく日に開催され、約100年の歴史のある【六斎市】が村上の台所として賑わっている事も知り行動を掻き立てた。

6日自宅を出、高速東北道・磐越道を通って村上市へ向かい、予約のホテルチェックインまで時間があり、少し北上し何度も訪れた【笹川流れ】であったが、真冬のこの地は初めてなので途中左手の荒れ狂う日本海を見ながら村上市から約30分で到着。

白波が岩を叩く笹川流れ
雪が横から叩きつける寒さに身を縮め、写真を撮るのが精一杯で直ぐ退散。

波打ち際に建つ【ニューハートピア新潟瀬波】に4時前チェックイン。
ニューハートピア新潟瀬波
正月気分も終わり、宿泊人数も少なく天然温泉で冷え切った身体を癒やし夕食までゆったりと過ごす。

翌日、目的の【六斎市】へ。

場所は村上市役所などが建ち並ぶ通りの約1000㍍を車両通行止めとして早朝から昼頃まで開催されているようだが、今回は正月明けと雪交じりの風が吹き荒れ訪れる人も少なく、10時過ぎだったが店じまいを始めているところだった。
早めの店じまい
寒そうに片付けをしている同じ場所で50年も続けて居られる塩引き専門の出店で話し込み、お勧めの塩引きを購入し、三枚におろして切り身してもらう。

妻がいつも何かのためにと持ち歩いている手土産を、ご主人と奥様に差し上げて来年も必ず来ることを約束。
鮮やかな手つきで
店じまいして出店が少なくなった通りを散策し、何処のホテルや旅館に張ってある『吉永 小百合さんと【千年鮭きっかわ】の軒先で撮られた(大人の休日倶楽部)』ポスターの場所を訪ねる。
大人の休日倶楽部ポスター
鮭の暖簾が風で激しく靡く【千年鮭 きっかわ】
千年鮭きっかわ
何故かその脇にナンバーの付いていないロンドンタクシーが。
ロンドンタクシー
塩引きと荒巻の違い
「新巻(アラマキ)」の語源はかって塩蔵のサケを保存したり、運ぶ際、荒縄、菰等で包んだり、吊るしたりしたので「稲巻」「わら巻き」がいつのまにか「アラマキ」と呼ばれる様になったと言われてり、古くは秋サケの塩蔵を指し、お歳暮用のサケの代名詞として広く使われていました。
塩引きとは鱗に逆らって、その間に塩をすり込む動作から名づけられたとしていて、塩引きという言葉は、約1000年前に「楚割(そわり)鮭」という名で記録され、戦国時代には正月料理のひとつになっている。

青砥 武平治
約300年前の江戸時代の中頃、鮭が貴重な財源だった越後村上藩では、乱獲により鮭が枯渇。藩主からなんとかせよ、という使命を帯びた武平治は、鮭の母川回帰性(生まれた川に戻ってくる習性)に着目。現在の村上市の三面川(みおもてがわ)に種川というバイパスを造成し鮭を誘導、鮭が産卵するまでは禁漁し、卵を産んだ後の鮭のみを捕獲する「種川の制」という鮭の自然ふ化増殖システムを考案。つまり川に戻ってきた鮭をすぐに獲るのではなく、より計画的かつ効率的に鮭を増やしながら獲る仕組みを作りました。
その結果、200両程度だった村上藩の鮭の収入は約5倍に向上。見事藩の収益アップに貢献しました。


今年は今のところ雪が少なく助かりますと地元の方は云う。

帰りは雪の多い山間部の一般道路、国道290号、関川→越後大島→JR米坂線沿いの国道113号、小国町→国道13号、山形県米沢市→福島でした。