2022年2月26日土曜日

新兵器発見???

 我が家は北向きの住宅地にあるため、冬場の降雪が車で圧雪されて凍結してしまった市道は、中々溶けず凄く危険でした。

以前からアルミのスコップや つるはし等で砕いていたが思ったように粉砕出来ず困っていた所、シーズンが終わりに近づいた昨日、優れものがあることが分かり早速注文してみました。

【割るぞうくん】

春が目の前でも凍り付いたまゝ残っていたので早速使ってみまた所、簡単にしかも楽に粉砕する事が出来ました。

来年は充分威力を発揮してくれるでしょう!

(有)吉田研磨工業さんの動画・画像を使わせて頂きました。

割るぞうくん

2022年2月24日木曜日

雪は残れど春の兆し

今年は何と雪の多い事。

21日から22日にかけて又大雪。

今冬、こんな大雪続きになるとは予想もせず、軽トラックの冬タイヤは履き潰すつもりでギリギリまで耐えて来たが、耐えきれず雪を積んだまま昨日急遽新品冬タイヤに交換。

急遽タイヤ交換

車庫前は雪で車の出入りも出来ないので、その雪を軽トラに積んで3回、畑へ運び投雪。

朝一番で雪かきするも又積もる

畑に投雪

昨年晩秋に切り落とした柿の木にも。
巨大アート?

狭い庭のテラスも雪にスッポリ埋もれています。
テラス

何時も通る美術館通りも雪は残れど、日が差し込んでようやく春の気配。
春を感じる美術館通り

予報では今日あたりから気温も上がり、待ちに待った春の到来か? 

2022年2月11日金曜日

茶室 【麟閣】

9日、会津若松へ仕事関係の告別式(10:00)に出向き、終了後雪の鶴ヶ城を同行した方と散策。

会津若松 鶴ヶ城

今まで何度も訪れてはいたが今回、歴史的重要な福島県指定重要文化財【茶室 麟閣】に入ってみる。

少庵ゆかりの茶室 麟閣


茶室 にじり口

本来なら苔むす庭園を眺めながら頂く抹茶ですが、豪雪地帯のこの時期故ストーブで温められた小屋で抹茶と薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)を頂く。

抹茶と薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)

そしてこの茶屋はかの有名な【千利休】との関係がある事にも気づく。

ご承知の通り千利休は、豊臣秀吉に切腹を命じられ70歳でこの世を去る。

豊臣秀吉と千利休

秀吉はあらゆる頂点に立ち、出来ないことはないと考える天下人で、唯一嫌い嫉妬の対象としていたのが千利休で、質素で完璧な美学で無駄な装飾を極限まで削ぎ落とし、たどり着いた美の境地に秀吉は許せなかった様で、そんな理不尽な理由を付けて切腹を命じたのですが、実際には切腹をしてほしい訳ではなかったようです。一言謝罪の言葉を述べるだけで許されたとも言われたが、 千利休は自身が秀吉に謝る理由はないと断り、妻に見守られながら切腹をしたのでした。

天正19年2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、蒲生氏郷(がもううじまさ)は利休の茶道が絶えるのを惜しんで利休の子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけるのです。

切腹に値しない千利休の罪

切腹を命じられた千利休ですが、公的に「天下人の嫉妬」という名目で切腹を命じることは出来ず、そこで、秀吉の部下で石田三成は二つの罪を挙げることで、切腹の命令を執行しようと試みたとされています。

1,大徳寺山門の金毛閣に建てられた千利休の木像が不敬であったこと。

2,茶道具を法外な高価で売り、売僧と成り果てていたこと。

この二つは秀吉の嫉妬と誤解でもあったのです。

一つ目のは金毛閣に建てられた千利休の木像は本人が建てた物ではなく、実際は応仁の乱で焼けた寺の再建のために千利休は多額の寄付をしていて、寺がその功を顕彰するために建てたのが千利休の木像だったのです。また千利休が考案した茶室の「にじり口」は、武士も商人も誰もが身分差がなく頭を下げて入る事で茶室では皆が平等を意味していたのです。そして狭くて刀を差したまゝ入れない事にも秀吉は怒りを感じていたようです。

二つ目は千利休には類稀な美的感覚があり、その目利きを選んだ骨董品は誰が見ても分かる確かな物で、市場では価格が上がり茶の湯に憧れを抱く商人達が買い求め、転売に転売を重ね価格が一気に上昇するのです。そして千利休が大切にしていた香合には、秀吉自身が小判千枚の価値をつけて交渉したとも言われています。

香合とは、茶事において茶室に香を焚く時の器。


2022年2月7日月曜日

立春

節分が終わり、2月4日は24節気の「立春」でした。

昔は、立春、立夏、立秋、立冬、の前日に当たる日を、それぞれ「季節の分かれ日」として、「節分」は年4回あったそうですが、春の始まりが一年の始まりとされていた「立春」の前の節分が現在も残っているそうです。

まだまだ寒い日が続いて、春の訪れが待ち遠しい日々ですが、節分草も咲き始め、様々な春の花たちもやがて花ひらく準備を始めているようです。

節分草
節分の頃に花を咲かせるので節分草と呼び、日本原産の植物で関東より西の地域に分布します。石灰岩地帯を好み、落葉樹林の斜面などに纏まって自生。凍てつくような真冬に芽を出し花を咲かせます。後に葉を茂らせ晩春には茎葉が枯れて球根状態で秋まで休眠に入ります。
節分草

雪解けを待たず日向に咲く〝福寿草〟は春を告げる一番花で、そして〝まんさく〟、〝桃の花〟と咲き継ぐ春が本当に待ち遠しいですね。
春よ来い、早く来いと雪解けを待たずに咲く福寿草

「早春賦」の歌詞が心に浮かぶのもこの頃です。 

坂村 真民氏のこの誌が大好きです。

              花と星
          天に向かって花は咲き
            地に向かって星は光る
           ああ、人生は何に向かって生きるのか
             朝(あした)には花に向かい
             夕べには星に向かい
           われは願いを重ね行く

コロナが治まり、平穏な春夏秋冬が訪れる事を願うのみです。

2022年2月4日金曜日

日本三大不動【中野不動尊】の涅槃図

 毎年松の内を過ぎた1月14日に正月飾りの札納めにここ【中野不動尊】に行っていましたが、節分(2月3日)が過ぎた今日、時期遅れの札納めに行って来ました。

遅れた理由は、年末近年にない大雪の雪掻きで腰を痛め、高い神棚の飾り物も外せず病院通いと温泉療養とで時期を逃してしまい、ようやく痛みも治まり歩ける様になり出掛けて来ました。

ぐるっとナビより

今までは牛蒡しめ縄でしたが、今回は鼓銅型しめ縄にしてみました。

一番高い鼓銅型しめ縄が外せず三日前まで残って・・・

以前にも書き添えた事もありますが、東北、関東、九州等多くの松の内は1月7日、関西地方を中心としたエリアは1月15日。

もともと松の内は、全国的に1月15日までだったのですが、江戸時代に明暦の大火(1657年:明暦3年1月18日~20日)が起きたあと、「燃えやすい松飾りを早く片付けるように」と幕府が1月7日までと定めた事だとか。

話は戻りますが、毎年外側の各お堂にお参りしてたのですが、今回は内側の隠れたお堂・尊仏にお参りして廻り、20年に一度の開帳、涅槃図も参拝する事も出来ました。

中野不動尊所蔵【涅槃図】

【涅槃図】
涅槃図とは、お釈迦様が入滅(お亡くなりになる事)した時の様子を描いたもので、お釈迦様が入滅されたことを(涅槃に入る)ということから、この絵を涅槃図といいます。
世の無常を暗示する真っ白な花を咲かせた、二本の沙羅の木の間に、お釈迦様は静かに横たわっておられます。
その傍らにお弟子達、信者達、様々な動物そして天神天人に至るまで、皆お釈迦様の入滅を嘆き悲しんでいますが、対照的にお釈迦様は、少し薄目をあけられた様子で、あたかもやさしく微笑んでおられるかのようです。
この時、お釈迦様は、決して亡くなられてしまった訳ではなく、完全なお悟りの境地に入られたのです。

何時ものコースと少し変え、安堵の窯を廻り麓から【かもしか亭】に通ずる階段を登ろうとした時、昨年まで危険な木製の階段だったのが、綺麗な石の階段に変わり、安全に登ることが出来ました。

修復の費用は全て多くの方々の寄付によるもので、私達もその寄付に申し入れをして来ました。