2022年3月20日日曜日

震度6強地震

16日福島県沖でPM11:36震度6強の地震発生。

幸いに大きな津波はなかったものの、その後、余震が続き不安な夜を過ごす。

今回の地震は長く揺れ続け、しかも二度・三度と同じような揺れがあり、家中の棚・冷倉庫等全てが移動または倒れ、辺り一面散らばり足に踏み場もない状態。
冷蔵庫・台所用品も散乱

重たい本棚も倒れ壁に穴が。


壁に穴

洗面所
仕事場(事務所)も手の付けようない状態。

パソコン・プリンターも吹っ飛び
とりあえず元に戻して

今回は新幹線の脱線、高速道路の亀裂等で今までにない被害が続出し、県内での死亡者も出てしまいました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

県内の一部で断水などの被害も報じられました。





2022年3月15日火曜日

神奈川県松田町【河津桜】

当地もようやく雪解けが進み、小さな薄紫のイヌフグリが咲き始めました。

TVでは各地の桜の様子が放映され、ここ松田町の【河津桜】も連日放映されていて、春を探しに12日(土)13日(日)の両日出かけて来ました。

自宅を朝7時に出発し、途中休憩を挟んで昼過ぎ到着。

駐車場は相模川の河川敷が臨時の駐車場で、そこからシャトルバスで現地桜祭り会場に。
相模川河川敷

土・日曜日とあって多くの人出でした。
急な坂を登り切った所の個人のミカン畑と河津桜が植えられて、菜の花と桜が咲き乱れ菜の花の香りが一面漂っていて正に春を身体で感じることが出来ました。

撮り置き写真を【桜坂】の曲にのせて纏めて見ました。

今夜は伊勢原市に泊まり明日栃木県【あしかがフラワーパーク】へ。

二日目(3月13日)
昼過ぎ目的地の【あしかがフラワーパーク】に到着。
パーク正面入り口

本格的なシーズンには未だ早いが日曜日とあって大勢の人出でした。


軽い食事を終え、第二の目的地、長野【善光寺】へ。
山門

本堂

右端のお地蔵さんの足が飛び出ています。
六地蔵

六地蔵とは
人は今世の滅後に六道のいずれかに転生すると考えられています。
六道とは天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つで、六地蔵様お一人おひとり担当する世界が決まっているとされ、善光寺の六地蔵様の向かって右側のお地蔵様は別名大定知悲地蔵菩薩で、担当されるのは地獄で、地獄に転生する者は人としての道から足を踏み外しており、その地獄を担当されるお地蔵様もそれを表すために足を外して座っています。

その隣に大きめの濡れ仏が鎮座しています。
濡れ仏

濡れ仏
江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が建てたという伝説もあって有名な延命地蔵です。

八百屋お七
本郷の八百屋の娘お七は、天和2年(1682年)の火事で避難した吉祥寺の寺で、寺小姓の吉三郎と出会い一目惚で恋に落ちてしまいます。お七はどうしても吉三郎を忘れる事が出来ず、一途な思いは「もう一度火事があれば会えるかも知れない」と言う恐ろしい考えに思いに至り、ついに放火してしまう。放火の罪で捕まったお七は、鈴が森で火刑になってしまいます。

長野の郷土菓子(料理?)で有名な【おやき】を頂き夕方6時頃、新潟径由会津若松を通り帰宅。
走行距離1232㎞

2022年3月10日木曜日

浅間山荘事件と初めての長野県入り

先日、浅間山荘事件発生から50年が過ぎた事をテレビで報じられていた。

当時28歳の私は初めて長野県を訪れる途中の出来事でした。

1972年(昭和47年)2月19日昼頃に前橋・高崎で仕事を終え、車で国道18号線の碓氷峠を通って長野市に向かう途中、軽井沢駅の手前で車を止められ何が何だか分からなかったが、警察車両・消防車・救急車、上空ではヘリが旋回し、物々しい状況でした。

2月の寒い時期、停止されて約6時間の間、車内の積みには全部出され、ボディーチェックを受けて、ようやくおおよその事態が分かった。
当時乗っていた日産チェリースポーツ(この色)

通行が解除されたのがすっかり暗くなり、当時携帯もなく長野市に初めて入って宿探しに四苦八苦。

ようやく見つけた宿は善光寺さん麓の食事は提供していない連れ込み宿【喜楽荘】。

駐車場は通りの面して一台のみ、年の頃は60代のご夫婦で自家食材で作って頂いた夕食は何か特別なおもてなしを感じた事を思い出します。

その宿に三日滞在し長野を外れ新潟へ。

以前から新潟では取引先があり同じく三日程過ごし、高速道路もない国道49号線の山道を通って自宅についても未だその事件の中継が続いたいた。
河合楽器製作所保養所

新潟・長野には約20年通い続け、新潟の取引先の方は10年前に逝去され、娘さんが引き継ぎ現在もお付き合いさせて頂いておりますが、長野の方は12年前に逝去され、後継者もなく廃業されています。

因みに新潟・長野での宿(旅館)は20年間変えた事はありませんでした。


2022年3月1日火曜日

卒業式

 何時もの朝、何気なしに車で走っていると、40代前後の男性・女性が着飾った礼服にブーケを付けて、同じ方向に向かって大勢歩いていた。

その先は県立工業高校の卒業式会場だった。

梅の花も咲き始め、春の兆しが漂いつつある暖かい日の卒業式、多くの若者達が社会人・大学と新たな生活に巣立って行くのに素晴らしい一日になりそう。

人をあまり怖がらない鶺鴒(セキレイ)も忙しく動きまわり出し始めました。


昔は卒業式で【君が代は】【蛍の光】【仰げば尊し】は卒業ソングの定番であったが、今ではそれも変わって歌わなくなったようで、私達の年令には淋しさも感じてられます。

歌わなくなった理由には、歌詞の意味が理解出来ない、今の時代にそぐわない等とかだそうですね。

【蛍の光】を下級生が【仰げば尊し】を卒業生が歌い出せば自然と涙が流れ出す様は、今はどうなのでしょうか?

【仰げば尊し】昔懐かしいオルガンの演奏曲をYouTubeで見つけました。

その歌詞の意味は!

        1.仰ぎ見るほどの尊い 恩師のへのご恩

          学校の教訓を学んで もう何年も経った

          思い返すと 学校生活の時が経つのがとてもはやかった

          今まさに別れよう さようなら


        2.互いに仲良く過ごした友へのご恩

          卒業した後も これらの思い出を忘れないで過ごして

          自立し 世に認められ 励みなさい

          今まさに別れよう さようなら


        3.朝から夕方まで 学び続けた学校

          蛍の明るさや 積もった雪の光りを頼りに勉強した

          忘れることなんてない 過ぎさった日々

          今まさに別れよう さようなら