2025年5月17日土曜日

就職列車

【就職列車(集団就職列車)】をあなたは知っていますか ?

就職列車とは、かって盛んに行われた集団就職で都会に出る若者を運んだ列車で、そんな集団就職の最初の事例となったのは、昭和10年3月に凶作に見舞われた東北地方の救済策として秋田県で実施されたものとされています。

高度成長期の昭和31年頃から46年頃まで盛んに、中学校を卒業したばかりの「金の卵」と称された、若者達が青森や熊本から親元を離れ、主に大阪・東京へと集団で就職先に向かう専用列車でした。

ホームには見送りの親や親戚の皆さんが集まり、我が子との別れに涙ぐみながら手を振り、車内の子供達はハンカチを手に泣き崩れる姿。


当時は新幹線もなく熊本から大阪まで18時間、そこから更に東京までは数時間と一日がかり。

その時の映像を見る度、胸が詰まってしまいます。

私はその最盛期の昭和34年中学卒業でしたが、農家の長男坊で農家の働き手の一人としてその集団就職には加わる事はありませんでした。

就職が決まった同級生は不安と希望を秘めた笑顔が、今、思い出しても涙くんでしまいます。

中には受け入れ先の厳しさに耐えきれず、自ら命を絶つ者やその厳しさに耐え成功を手にした人と様々。

そんな中の昭和39年5月に発表された【あゝ上野駅】が空前のヒット曲となりました。

        二番目の歌詞
          就職列車に ゆられて着いた
           遠いあの夜を 思い出す
            上野は俺らの 心の駅だ
             配達帰りの 自転車を
            とめて聞いてる 国なまり

この曲でどんなに励まされ、勇気づけられた事だったでしょう。

作詞家の関口義明氏は、上野駅で見かけた集団就職の少年達を題材に書き、農家向けの家庭雑誌【家の光】の懸賞に応募して1位の入選を果たし、発売当初は途中の台詞は吹き込まれていなかったが、井沢八郎氏がテレビの番組に出演中、父が亡くなった事を知らされ、間奏の途中にアドリブで入れちゃった台詞が反響を呼んだため、後に台詞入りのバージョンをレコーディングして改めて発売したという。

食道癌で失った父を受け継いで、今は娘の【工藤夕貴】さんが守り続けておられます。

因みにカラオケ大好きな方はご存じだと思いますが、数年前までは歌詞本の1ページの一番目に載っていましたが、今は新しい曲が続々出ており表示が変わっているようです。

集団就職を経験された方々は今、70才から80才位になっておられるでしょうか。

その方々のご苦労が、今の日本の石随となっていると言っても過言ではありませんね。


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