2016年7月16日土曜日

会津若松市『御薬園』

昨日、妻が会津若松市と郡山市での仕事で、早朝から夜遅くまでの強行移動のため、車の運転で手助けをする事に。

若松市で約5時間の合間を利用して、一寸した買い物と昼食を済ませて残った時間で、『御薬園』を散策。

入場料金大人350円を支払い、散策順序に従い歩き始めると直ぐ左手の蓮池に満開の蓮の花が見事に咲き誇っていた。
蓮池
既に終わりかけた感じもあったが、梅雨の合間の晴れ間でこんな大きな花を見事に咲いていました。
大輪蓮の花
又少し進むと『心字の池』の中央にある【楽寿亭】が目に付く。
楽寿亭
そしてその右手に【御茶屋御殿】

今から約300年前に作られた木造茅葺平屋建の数寄屋で、主として茶席・書院・御慰所として用いられていたようで、戊辰戦争では西軍傷病者の治療所にあてられ、戦火をまぬがれました。

戊辰戦争の中、御茶屋御殿は敵である新政府軍の戦傷者の治療所にあてられて、そのため、戦火の中にあっても御薬園は長屋門が焼けおちたほかは、建物・庭園とも敵軍の蹂躙もなくほとんど昔のままの姿で残り、建物の柱には、今でも大きな刀痕が残っており、戦いの激しさを物語るものの一つです。
御茶屋御殿
女滝から望む【御茶屋御殿】で総合パンフレットの写真もこの辺りからの撮影の様です。
撮影スポットの御茶屋御殿と楽寿亭
心字の池に映る逆さ松。
逆さ松
御薬園
鶴ヶ城の東、徒歩15分の場所にあり、中央に心字の池を配した回遊式の借景園と、各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来です。

室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだしたこの地に別荘を建てたのがはじまりと言われています。

昭和7年に徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。

四季折々に花が咲き誇り、歴代の藩主が愛した庭園の風情を深めてくれ、御薬園でしか味わえない秘伝の薬草茶で日頃の疲れを癒しくれます。

2016年7月6日水曜日

日本ミツバチの分蜂

今年の5月8日に新しく入居した【日本ミツバチ】が、7月6日、梅雨空特有の蒸し蒸した午後、突然庭にある一本の柿の木に分蜂が始まりました。

丁度その時、妻と妻の仕事仲間(Aさん)、呉服屋さんが来ていて初めての遭遇にビックリ。

6月頃の分蜂に時期に備えて、誘導板その他を準備していたが、分蜂時期が過ぎたこの日分蜂を予測していなかったので、それらを全く設置していなかった。

古木を利用して作った誘引板
やむなく 70ℓのゴミ袋に園芸用の細い支柱を丸く曲げ、袋の縁にガムテープで貼り付け、寸胴状に加工して洗車ブラシで掻き落とし新しい巣箱の上から振り入れた。

外に漏れた数千匹のハチがパニック状態にり、辺り一面飛び回り周りは騒然。

捕獲した袋の中から女王蜂が巣箱に入ったためか、外で飛び回っていた物凄い数の蜂たちが、少しづつ巣門から入り始め、約30分後位には殆ど巣箱に入居して捕獲完了です。


新たに一群が増えました。




2016年7月1日金曜日

北海道 久しぶりの一人旅

仕事の都合や仲間とのゴルフなど、諸々の事情で連続して空ける事が出来ず、年に三回ほどある休日倶楽部を二年ほどスルーしてしまいました。

今回は妻曰く、行ける時に行っておいた方が・・・と背中を押され、仕事のやり繰りも付いたので6月30日から5日間の当てのない気ままな旅に出ています。

【一日目】6月30日
家を7時前に出て、乗ろうと予定していた7:08分仙台行き【やまびこ291号】に乗り遅れ、次の7:40の新幹線で仙台へ。

仙台で【北海道新幹線 はやぶさ】8:06に乗換えて新青森で下車。

当初から予定の新幹線で新青森に行くつもりだったが、結果的にはそのあとの新青森駅からの【五能線】に支障なく乗車する事が出来た。

五能線は何度か途中下車して乗り継いで行かないと東能代までたどり着けないため、【川部】で途中下車するしかないのです。

約1時間の待ち合わせで、又次の途中下車の【鯵ヶ沢駅】に。
鯵ヶ沢駅
 鯵ヶ沢と云えばあの[ブサかわ犬]で有名な【わさお】のいる所です。
駅前の広場にもこの様に
駅の売店の方に【わさお】の居る きくや商店 まで歩いてどの位かかるかお尋ねした所、大人の足で20分位かなとの事だったので、散歩を兼ねて歩いてみた。

殆ど人通りもなく、長い緩やかな上り坂が続き、更に暑さも手伝って途中でギブアップ。

鯵ヶ沢に来たら誰でもが食べて帰ると云う【ヒラメのヅケ丼】を知り、きくや商店まで約3分の2程の所に、ヅケ丼の のぼり がある【食事処 波真夕】を見つけ、それを食べながら一休み。
鯵ヶ沢商店街で配られているチラシから
そこで頼んだ【ヒラメのヅケ丼】
ヒラメのヅケ丼 1,100円
味わった事のない美味に満足し、目的の【きくや商店】へ。
国道と海に挟まれて数件の店が並んでいる
先に話した様に凄い暑さで話題の看板犬も夏バテ気味で、人に見られるのも迷惑そうでした。
わさお君
そしてお嫁さんの【つばさ】ちゃん
つばさちゃんと飼い主の菊谷さん
こちらはおまけ?
おまけちゃん?
そしてお店の前には名物の【いかのカーテン】
今日は全く少ない
歩いて鯵ヶ沢駅に戻るにはもう限度と、出発時間も迫りやむなくタクシーで(料金1,800円)

そこから深浦→東能代→弘前→青森に。
青森着20:27分
出発する前に予約した、私の好きなアパ系ホテル【青森駅前のアパホテル】に。

持ち込んでいるパソコンでブログの更新と、明日の宿泊先をネットで予約(アパホテル帯広)です。
 ポイントを使って1,800円
今回、北海道新幹線を使っても北海道に渡らなかった理由は、何度も海峡線を利用して北海道に行っているので、今回は青森港10時発函館行きの津軽海峡フェリーに乗船したいためでした。

帰りはまるまる北海道新幹線を使って帰る事に。(指定席がとれるかが問題)


【二日目】7月1日
ホテルで朝食済ませ、駅前バスターミナルから津軽海峡フェリー乗り場までのシャトルバスに乗って約20分で到着。(料金200円)

一際大きな客船が停泊していて、その名は【ダイヤモンド プリンセス】。まるで大きなビルが聳建っている感じ。
ダイヤモンド プリンセス
今回、乗船するのは津軽海峡フェリーでは一番大きな【ブルーマーメイド】号
乗船
座席は三階の最前方にある予約席、ビューシートと値段の割に少しリッチな感じでした。

広々とした冷暖房完備の完全リクライニングで、約3時間半の船旅です。
ビューシート
今回、乗船した様子を動画にしました。 




定刻に函館港に接岸し、そこかからシャトルバスに乗り約30分(料金310円)で函館駅に。

函館発14時56分発の【スーパー北斗15号】で南千歳に出て、そこで【スーパーとかち7号】に乗り換え帯広へ21時21分到着し、昨夜のホテルで予約した【アパホテル帯広】に。
帯広駅
部屋は昨夜とほぼ同じ感じ。
505号室
明日の気の向くままの行動は、電車の中で網走方面に変更し、網走刑務所とその資料館を見てそこで宿泊と・・・・・

又、この505号室で今日の工程をブログにアップしながら、新しくオープンしたばかりの【ドーミーイン網走】に予約を入れたが満室。

色々予算に応じて探すも何処も満室、考えてみたら明日は土曜日だった事に気づく。

仕方なく会員にもなっている【ルートイン網走】に入れたが、ツインで喫煙可の部屋がたった一部屋だけが空いていて、やむなくそこに予約。

大浴場があるのはこのホテルと【ドーミーイン】で、後者のホテルは天然温泉の大浴場があり、人気があり予約が中々取れない。

【三日目】7月2日
又、例の如く行き先を変えて、今日は帯広発6時45分発の【スーパーとかち2号】に乗り込むため、少し早めの6時前に行ったので、駅の入り口はカギが掛かっていて人気もなし。

6時迄は開かない様なので、遠くが見えない程の朝もやが掛かっている外で暫く待つ。

予定を変えたのは若い頃に仕事で何度も網走に来る用事があっても、一度も網走刑務所には立ち寄った事がないためです。

刑務所博物館の閉館は6時なので、3時間前位に着くためにはその一番列車に乗るしかなく、約5時間後次の列車では当然間に合わず、朝食ははスルーしての出発。

途中札幌で乗り換えて網走到着が、15時6分で約8時間半の列車の旅です。

何時も一人旅に出かけると新しい出会いや、思ってもいない事に遭遇したり、そして感動を頂いたりと必ず何かがあるのに、今回は三日目に入ってもそんな出会いがなく、このまま終わってしまうのかと思っていたらやっぱりありました。

笑っては失礼だが石狩線で帯広駅を出て、三つ目の停車駅【新得】で乗り込んだ年の頃は80歳前後のご夫婦。

通路を挟んで進行方向左窓際には50歳前後の奥様、右側の窓際は私で通路側左右の空いている私の隣にご主人、その左に奥様が席をとった瞬間、列車の到着を待っていたホームに荷物を置き忘れてしまった事に気付くも既に遅し、置き忘れた荷物を窓から見送ってパニックに。

忘れた荷物以外には大きなキャスター付きのスーツケースが一つ、奥様はハンドバック、そしてご主人は黒い小さなカバン。

どちらがその忘れた荷物を持っていたのかは分かは分からないが、あの様子からすると奥様ではないかと。

奥様がパニックになっているにも関わらず、ご主人は平静を装って言葉少なにも奥様を攻めたて、更に奥様はパニックになってしまい、揺れ動く車内を車掌を探して走り回る。

奥様は自分の席足元にその大きなスーツケースを置いたまま、席を外しているため電車が揺れる度動き出し、窓際の奥様が押さえていてくれたが、突然大きな揺れと共に通路を横切って見事ご主人の足元に収まった。

滑り込んで来たケースの取っ手辺りを押さえ、何事もなかった様なご主人。

車掌にも連絡が取れ、忘れた品物を駅で預かって置くとの返事に、ようやく安堵した時の様子を失礼とは思ったが隠し撮り。

左スーツ姿のご主人、奥様の前にある大きなスーツケース、その奥に何度もそれを押さえてくれた乗り合わせの奥様                
ほっとした表情の奥様、良い旅であります事を祈ります。
縦縞模様のしゃれたシャツにスーツをきちんと着込み、靴は新しいものではない様だが綺麗に磨かれ、正に《何も言わずに俺に付いて来い》と云った感じの、大和男児を貫き要職を全うして来た感じのご主人で、行き先は持っていたきっぷから終点の札幌まででその後は不明。

暫くすると左斜め前の席が空き、奥様に促され並んで座られたので今度は会話があるのかと思いきや全く無言。

あの奥様が居なければ何も出来そうもない感じで、もし居なくなってしまったら空気と同じで即、窒息してしまうのではないでしょうかね・・・・・・

何となく羨ましく感じていた時の7時40分頃、今度は【トマム】【占冠】間の山中で列車が急停車。

車内案内によると【エゾ鹿】と衝突した様で、テーブルに置いていた私のスマホが前の座席の下の方へ飛んで行ってしまう。

それを拾おうとしたが、硬い体でどうしても拾えないで困っている所に、3人の子供を連れた奥様がトイレに行くため通って、一番小さな女の子(二歳位か)に拾ってあげなさいと命じると、ネズミの如くするすると椅子の下にもぐって拾い上げてくれた。 

長い道中、何度かトイレに行く度手を振って通り過ぎ、その可愛らしさに旅の疲れを癒される。

その遅れで札幌での乗換時間が平常ダイヤでも8分しかなく当然間に合わず、依って釧路本線網走行きには乗れない計算。

ローカル列車の指定席・グリーン席・自由席混合の【スーパーとかち】故、車掌が乗客全員の行き先を聞き回って、網走までの乗客が多い事を確認してこの列車の札幌到着を待って、網走行き始発列車【ホーツク3号】が10分遅れで発車。

札幌から網走までは5時間25分掛かるため、【美唄】辺りでは正常運転となり、時間通り15時6分網走に到着し、日本の鉄道時間の正確さを改めて知る。

そして、乗り換えて確保していた通路側の指定席に落ち着く。

窓際の隣の席にネクタイを締めスーツを着込んだ65~70歳くらいの男性が本を読んいた。

約一時間程読み続けていたが、その本を小さなバックに収めて代わりに眼鏡を取り出して掛けると即眠りにつく。

眼鏡を掛けて眠り、どんな夢を見ているのかを想像したら可笑しくなってしまった。

おかしなもので指定席はほぼ満席なのに、自由席は殆ど空いているので自由席の方窓際へ移動。

石北本線【遠軽駅】からスイッチバックで後方車両が先になったため、椅子を進行方向に回転させ暫くすると【常紋トンネル】に差し掛かる。

このトンネルは死者が眠るトンネルでも知られていて、何人もの人が幽霊に遭遇しています。

この事は先に記した若い頃、仕事で何度もここを通って知っていたのでトンネルを通過する間、手を合わせ冥福を祈る。

【常紋トンネル】
北海道全域と青森県の一部を通る、北海道旅客鉄道の石北本線にある全長507mの鉄道トンネル「常紋トンネル」。
その名称は、このトンネルが北見市遠軽町にある、「常紋峠」の土中を通ることに由来している。
1914年の開通当時、このトンネル付近では不可解な出来事が頻発したため、周辺に住む人々からは気味の悪い場所だと噂されていたという。
そして、1968年5月16日に十勝沖地震が発生した際、一部の破損したトンネル壁面の中から一体の人骨が見つかった。その後、このトンネルの周辺から何体もの人骨が相次いで発見されたため、当時の過酷な【タコ部屋労働】の実態が明るみとなり、現在では日本有数の心霊スポットとして広く知られるようになった。

【タコ部屋】とは・・・
語源については定説がない。タコ(蛸)を捕らえる時のタコ壺に似て一度入ると出られないからだとも、タコのように最後には自分の足を食べなければならないような劣悪な環境で、この種の労働者を東北地方北部を中心とした他の地域から、斡旋業者の甘い言葉に乗せて用したから(他雇)とも、糸の切れたタコ(凧)のようによく逃亡するからとも言うが、いずれも確実なものではない。
 
【実際にあった怖い話】
ある日、突然機関車の前に頭からダラダラと血を流した男が立ちはだかってり、慌てて急停車し、機関車から降りて調べてみたが、あたりには人っ子一人居なく、何かの見間違いかと思った機関士は、再び機関車を走らせた。
しばらくするとまた、あの血だらけの男が立っていて、その機関士は、再び急停車するのですが、その男の血だらけの形相が目に焼き付き離れず、とうとう目をつむったまま、機関車を発車させることができなくなってしまったのです。

そしてとうとう、後から来た列車の機関士がかわって動かさなければならない事態に陥ってしまったのです。
 
そしてこんな事も。
常紋駅に勤める本人や家族の者がノイローゼになったり原因不明の病気にかかったり妙なことが起こりました。
また、ある駅員の奥さんが何の前ぶれもなくトンネルの中で列車に飛び込み、自殺するという痛ましい事件も起こりました。
 
そのほか数え切れないほどあった。
 
車掌によってはトンネルに入る前、車内放送で話してくれ一瞬〝ヒヤッ〟と・・・・


そんなこんなで定時の15時6分網走駅に到着。
網走駅

チェックインを済ませ荷物を預け、部屋に入ったところたばこ臭いがきつく、窓を解放して目的の網走刑務所博物館へ。
 
道路を挟んで駅の前にあるルートイン
それがこの部屋
ツインで喫煙可の部屋

この正面入り口は現在の刑務所と全く同じく作られている。
資料館正面
ここまで天気に恵まれて来たが、資料館に着くと同時に雨が降って来た。
資料館の至る所に用意されているビニール傘を使って館内散策。
まず目に付くのは入り口左の【五寸釘 寅吉】人形。
五寸釘 寅吉
囚人休泊所
休泊所(タコ部屋)
現在の独居房
テレビも備えられて綺麗な部屋
五翼放射状平屋舎房、5棟が放射状に広がる舎房で、木造建築物としては、世界最古で最大の規模を誇っていて、高い天井から注ぐ光が印象的です。
五翼放射状平屋舎房内部と中央監視所
【教誨堂】きょうかいどう
この建物は教誨事業の行われた講堂で、教誨とは教えを諭すということであり、受刑者に対して行う精神的、倫理的、宗教的な教化指導場所です。
 
外観は和風、内部は洋風の和洋折衷の建物で、天井のシャンデリアボックスの装飾が特徴。


教誨堂内部
中央正面には無宗派の仏壇が飾られ、今はその仏壇も撤去されて講堂と名を改められ、免業日(作業のない日)に映画を見せたり、慰問公演がおこなわれているようです。
 
冬の長い地方故、野外運動場が使えなくなると体育館のような使い方もされます。
仏壇
明日の宿を予約し温泉で疲れを癒やし、今日の行動を綴って就寝。
 
【四日目】7月3日
網走発9:23分発オホーツク4号、札幌行き(到着14:46分)に乗車。
 
あえて遅めの函館行きを選び荷物をコインロッカーに預け、乗り継ぎ時間約3時間半を利用して、昼食に札幌ラーメンを堪能して、一寸したショッピングと洒落込む。
 
札幌発18:10分発北斗22号の自由席乗り口に早めに並んで、余裕で席を確保。
 
21:55分函館駅到着し、昨夜予約した【ルートイン函館駅前】にチェックイン。
 
今までの疲れがピークに達して大浴場の温泉に浸かった後、ブログの更新はしないで就寝。
 
【最終五日目】7月4日
チェックアウトを済ませ、駅のコインロッカーに荷物を預け、海に沿って金森倉庫方面へ風の強く吹く中歩き始めると、引退した青函連絡船の摩周丸が青空に映えていた。
摩周丸
金森倉庫に到着。

妻に連絡し伺いをたてると、一つ返事で『買ってきて~ぃ』やはり聞くまでもなし・・・・

チーズオムレット
まずはお先にチーズオムレット 一っを注文すると、サービスにアイスコーヒー(左)が付いて来た。
何時もだが食べかけてから写真を撮るのを思い出す
本来、アイスコーヒーは飲まない方だが、凄く美味しかったがやはりホットコーヒー(右)を追加注文。
 
ここのお店は妻とも何度か来ているが、美味しさは勿論で、店員さんの言葉遣いや応対などが素晴らしく、必ず立ち寄るお店の一っです。
 
倉庫群の中庭には、曽て(かつて)荷物の積み卸しをしていただろう運河があり、今は遊覧ボートの発着所になっている。
倉庫群内運河
北海道新幹線の空席を確保するのはほゞ不可能とは思っていたが、ダメ元で札幌駅の【みどりの窓口】へ行ってみた。
 
何と窓側一席、新函館北斗発【はやぶさ24号(6号車8番E)】だけ空いていて難なく仙台(仙台着16:29分)まで直通で戻る事が出来た。
 
初日の津軽海峡フェリーでは約3時間半掛かったのを、それが何と25分で通り抜けてしまうとは・・・・・・・
 
将来、もしかしたら北海道札幌~沖縄まで乗り換えなしの新幹線が登場するのではと思ってしまいます。
 
色んな路線を乗り継ぎ少しでも遠くへ、そして少しでも長い時間を列車で移動し、食事はホテルの朝食以外は駅弁で、タクシーは使わないと決めていたが、年を重ねるにつれ心に決めていたものが崩れてしまう事を実感した今回の旅でした。
 
又、妻が背中を押してくれる事を願って・・・・・・