2013年2月17日日曜日

三寒四温

【立春・萱場梨・大地主・農地改革】
二十四節季の一つ。陰暦正月節で春の季節の始まり。太陽の視黄経が315度に達するときで、現行暦の2月4日頃にあたります。

立春は冬季が終わる時で季節の変わる節分であるが、暦には立春の前日を節分として記載されています。

節分は季節の変わり目で春夏秋冬の節分があるが、現在では節分といえば立春の前の節分をさしている様です。

立春も過ぎ暖かさと寒さが交互に訪れ、雪解けの合間からは新しい芽吹きも始まっています。

やがて桃の花・梨・リンゴの花が咲きウグイスの鳴き声も聞こえて来るでしょう。

福島は果物王国、中でも梨【萱場梨】は特に有名です。


【萱場梨の話】
その記念碑が仕事の関係で必ず通る所にある。
萱場梨百年祭記念碑

福島市内笹木の萱場は、福島県のナシの名産地として知られ、萱場ナシの創設者となったのが鴫原左蔵氏(1838~1916)です。

同氏は萱場の農家の長男として生まれましたが、明治14年、笹木野の荒地の開拓に従事していた頃、野生の山ナシが自生していることから、笹木野の砂れき地にはナシが適していることに気づきました。

その後、当時の庄屋【阿部紀右衛門】氏よりお金を借りて、埼玉県の苗木商から「早生赤」の苗木50本を取り寄せて栽培しました。これが萱場ナシの始まりです。

鴫原氏が萱場ナシの生みの親だとすれば、萱場ナシ育ての親は、【阿部紀右衛門】氏(1882~1966)と言えます。阿部氏は、【阿部紀】の名で県外にも知られた野田の大地主でした。

同氏は明治40年原野を困窮する農家に提供してナシ栽培をすすめ、明治43年には笹木野原梨組合を結成しました。

この組合は、後に法人組合となり、共同出荷を行うまでに発展しました。昭和17年、戦時下のため解散したものの、技術開発と栽培者の組織化、経営合理化に尽くした阿部氏の功績は大きいと言えるでしょう。

今もその屋敷が当時の面影を残し実存しています。
現在の阿部紀宅
年貢米を保管する蔵が今でも数多く残っていて、東日本大震災の影響で崩れ落ち修復中の蔵も・・・・

【ねんぐ(年貢)とは?】
領主が毎年農民から農産物で取り立てた貢租(ぐぜい)。

【農地改革(農地解放)年貢の廃止】
敗戦直後農村における封建的社会制度を打破するために、昭和22年(1947年)~昭和25年(1950年)まで、三年かけて連合軍総司令部の指令で農地改革が行われました。

政府が下記に該当する農地を安い価格で強制的に買い上げ、それまで地主から借りて耕作していた小作人に安く売り渡す制度でした。

1,居住していない不在地主が所有する全ての貸付地。
2,在村地主は、貸付地のうち、内地(北海道を除く)では1町歩(1ヘクタール)
  北海道では4町歩(4ヘクタール)までの保有を認め、それ以外の貸付地。
3,小作料の物納(収穫した農産物による支払い)を禁止し、全て金納にする。

これにより全体で198万7千町歩(198万7千ヘクタール)の農地を買い上げ、土地を耕していた小作人に売り渡す。

その結果何百年も続いた小作制度は崩壊し、284万戸から541万戸増加しました。

【日本一の大地主、本間様】

           本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に

歌にまで歌われた山形県酒田の本間家は、北前船の船主として財を成し、多角経営者として鶴岡藩の藩主、酒井家をはるかに凌ぐ巨万の富を保持していた。

その本間家も所有していた3千町歩(3千ヘクタール)の土地を失う事になってしまいます。

農地改革により地代の現物収入を失い、没落していった大地主が数多くありました。

都市近郊の小作人の中にはタダ同然の安い価格で購入した土地を、バブルの時期に高騰した価格で売却する事により土地成金になり、億万長者となった人もかなりいました。

【その後の影響】
政治的には成功した政策ではあったが、大規模経営が世界的に主流になる中で、土地の所有者が大幅に増える事になり、機械の稼働能率が低く、先進的な農業の担い手となり得る中核農家が育たなくなってしまった。

昔の日本語には「愚か者」の意味で「たわけもの」と云うのがありますが、それは「田分け者」の意味でした。

狭い農地を細分化すれば農業経営が成り立たず、共倒れになる事を戒めた言葉でした。

現在では国が推し進めて来た【原子力発電事業】も全く同じ事で、農地改革は徳を得した者はおりましたが、今回の事故により徳を得る物(者)は全くありません。

政治家の先生方、自分の事ばかりを考えずに、もっと々おやりになる事があるんじゃないでしょうかネ。
      
 
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2013年1月2日水曜日

夕日

【一人でプレー】

昨晩から妻の右膝が痛み出し、今日はゴルフカートの運転手(妻のキャディ付き)として10時頃スタート。

風も無く気温も昨日より暖かく(約7度)絶好のゴルフ日和だが、プレーをしないでカートで移動するにはいくら暖かくてもやはり冬の外は寒いとか・・それはそうだよね・・

ハーフ(昼食)まで運転してもらって一緒だったが、その後自分で運転して一人で廻ってみた。

少し腰痛の違和感があったが、昨日(今年)は思ったよりスコアがよく今日も信じられない程。
何でだろ~!!?  何でだろ~!!?

何時も廻っている仲間にそのスコアカードを見せても、0000 しただろうと云われるだけなのでやめておく事に。

それでなくとも何時ものゴルフ仲間(一番暇な友)からの新年のメールに、1月は忙しくて遊んでやれないからと・・・・・・

すかさず忙しくない友を見つけると返信。  ・・・・そんな友が大好きなり・・・・・

汗びっしょりになり部屋に戻って一眠りをしていたら、夕日が綺麗と起こされる。

   それが これ ↓
山並みに落ち込む夕日
時間予約していた夕食会場へ。パーティションで仕切られたテーブルに案内され、ホテル最後の夜に妻と乾杯し箸を進めていたら、同じフロアで約40人前後の宴会でカラオケが始まった。

聞くところに当【千本桜リゾートゴルフクラブ】関係者の新年会とか。

暫くすると宴会料理の差し入れがあったり、その社長さんと支配人さんが挨拶に来られたりとでビックリ。

家庭的な雰囲気と上手揃いの歌を聴かせて頂いていたら、一曲誘われ失礼とは思いつつも歌ってしまった。

このゴルフ場は以前から友と何度も利用させて頂いていたが、スタッフの皆さんの笑顔、そして温かい応対に何時も感謝しおりました。それは社長さんを初めとする役員さんの気遣いが社員の皆さんに伝わってたいのだと感じました。

友人・知人に紹介しても必ず喜んで貰えるゴルフ場に間違いなしです。このブログをご覧下さったゴルファーの皆さんにも是非お出かけされる事をお勧めします。

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2013年1月1日火曜日

新しい年。

あけましておめでとうございます。

ホテルの9階からご来光です。

雲も殆ど無く山間から昇る初日の出はとても綺麗でしたが、窓越しに撮った写真故あまり綺麗に写ってはいませんが掲載してみました。
2013年初日の出
そしてその朝日に照らされたゴルフコースも、厳しい冷え込みで雪が積もった様に霜で真っ白に。
朝日に照らされたゴルフコース
朝食はお雑煮・おせち風のお料理で、お正月気分を味わう事が出来ました。

食事の後、外に出て見たらうっすら積雪があった。

案の定プレーは昼頃からとの事で、部屋に戻ってブログの更新。

柔らかい日差しがコース内の雪を溶かし、文字通り穏やかな元日の初打ちとしゃれ込む。
すっかり雪が溶けたOUTスタートホールからのホテル
ティグランドは未だ凍っていて、ティが刺さらない。池に入ったボールは沈まず氷の上に。

風も無くだんだん汗ばみ絶好のゴルフ日和。
あまりの穏やかさに薄着になり頑張る妻。明日も今日より少し気温が高いとの予報。


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2012年12月31日月曜日

2012年大晦日。

孫達家族が冬場の里帰りをしなくなってから、年末年始は外で過ごすのが我が家の恒例に。

昨年は蔵王のあるペンションに投宿しスキーを楽しみましたが、今年は友と何時も利用している【千本桜リゾートゴルフクラブ】に連泊し元旦の初打ちを計画。

大晦日の今日、残った軽い掃除を済ませ昼前家を出て高速東北道を郡山方面へ、本宮ジャンクションから高速磐越道をいわき方面に向かい小野インターで下りて目的地へ。

通常約一時間一寸の道のりだが、途中昼食を挟んでも1時過ぎに到着。

昨夜の雨でコース内の雪も消えて昼からはプレーするこ事が出来るとの事で、ハーフだけでもと考えたが風が少し冷たく妻の云う事聞いて元日の初打ちに。

夕食は和食系だったので飲めない私はノンアルコール、妻は熱燗で今年一年を労い乾杯。

部屋に戻って紅白歌合戦を見・聞きし乍ら、持ち込んだPCで綴りました。

プロボクシング【井岡 一翔】二階級制覇達成の一瞬でもありました。

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2012年12月30日日曜日

神飾り

我が家も今年一年、何とか乗り切る事が出来ました。

明日の大晦日を前に一年間の感謝を込めて神棚の清掃と、来年は今年より僅かでも良い年になる事を願い乍ら、新年を迎える為の準備を終えました。

昼過ぎからは冬の雨となり、レコード大賞を見ながらの夕食でした。
毎日配られる新聞にはあの日以来、原発事故関連の記事が載らない日はありません。

新しい政権に変わった今年こそ、何とか一日でも早い復興を願わずにはおれません。

12月から新しいブログ【ふくしま便り】を立ち上げ、福島地域情報を発信して参ります。
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2012年12月1日土曜日

おもいっきりトルコ周遊9日間

妻がある日突然【トルコ】に行こうと云い出した。その理由は行けるとき行っておかないと悔いが残るからとか。

確かに私達にはその言葉が間違い無く当て嵌まる年齢に達している。早速旅行会社に申し込み、それから仕事の調整に・・・・・

出発前にインターネットで色々調べていたら、日本とトルコは強い友好関係が保たれ、トルコ人は日本人が大好きである事も知りました。その理由は次の様です。

明治時代、国交のなかったオスマン朝トルコの都イスタンブールに渡り、日本と【トルコ】の友好の基礎を築いた山田寅次郎。 500人以上が犠牲となった和歌山県沖でのトルコ軍艦エルトゥールル号遭難事故の義援金として当時の日本円で約5,000円(現在の約1億円)を集め、単身【トルコ】まで届けた。このことは【トルコ】の小学校の教科書にも載っていて小さい頃から教育されている。

記憶に新しいイラク戦争の際、イラクに残された日本人をその恩返しと【トルコ航空】が無償で日本へ送り届けてくれた。

トルコ共和国は日本の約2倍の面積を有し、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する。アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都は二番目の大都市【アンカラ】。(一番目はイスタンブール)

日本との時差はトルコが7時間遅れ。(日本の午後の2時がトルコでは朝の7時と云う事になる)
気温は日本より少し寒く乾燥気味で、肌荒れに注意が必要。

云うまでもなくトルコ石・トルコ絨毯・大理石・革製品(羊皮)・陶器等が有名で、石炭の埋蔵量が多く火力発電が主力。次いで地熱発電・風力発電と続き、原子力発電は一基も無い。

11月15日
東京(成田)10:05発→モスクワ(シェレメチボ)へ約11時間。
そこから乗り継いて約2時間半イスタンブールへ。終日移動後ホテル。

11月16日
専用バスで【イスタンブール】から廻って【イスタンブール】に戻る総走行距離が約2,500㎞。
そのため超高級バス(ベンツ製)とドライバーは二人、全てが行き届いてた。
メルデス ベンツ
昨日(今日の夜中2時)の【シェラトンホテル】到着が夜中と、時差ぼけとで相当辛かったがいよいよ旅の始まりです。

専用バスで【イスタンブール】からダーダネルス海峡をカーフェリーで渡り、陸路(325㎞/約6時間)チャナッカレへ。

                   その様子を動画にまとめました。
ダーダネルス海峡
一緒に飛び続ける【カモメ】
フェリーは隙間なくバス・乗用車を積んでチャナッカレに到着。

チャナッカレから陸路トロイへ60㎞(約1時間)  『世界遺産トロイ遺跡』
ギリシャ軍とトロイ軍の戦いは10年にもおよぶ戦いも決着を見ることが出来なかった。

ギリシャ軍にある戦略が浮かび、車輪の付いた大きな木製の馬を作り、その中に兵士が隠れると云う戦略。


兵士達は声を顰(ひそ)め隠れ、残りの兵士はあたかも戦いを放棄し、ギリシャに戻るよう見せかけて舟でした。
世界遺産トロイ遺跡

規模はそれほど広くはないが全く人の手を加えていない事から世界遺産に指定された。

ここまでの撮り置き写真はこちらです

11月17日
同じ専用車でアイヴァリク→エフェソスへ陸路250㎞(約3時間45分)

エフェソス観光。【エフェソス遺跡】

トルコ・エーゲ海沿岸で最も大きい都市はイズミールで、エフェソス遺跡はイズミールから南方70㎞にあるセルチェクの郊外3㎞に残された東西に500m 南北に1,500m程の大規模な都市遺跡。

エフェソスの輝かしい歴史は古代都市ギリシャ~古代ローマ~ヘレニズム~ローマ帝国~東ローマ帝国の時代へと至る長期間繁栄した。
図書館跡
24,000席の円形劇場
この時代にも売春宿が存在し、大通りの大理石の敷石にその案内を彫ってあった。

敷石の写真はこの通りを過ぎた左側(左足)にその宿(右下の長方形)あり、そこには女性(長方形上の女性)がいて、そのハートにお金(ハートの中の黒い穴)を投じれば貴方のものになりますと記してあります。

前の写真で案内した図書館の道路真向かいに在り、図書館で勉強したあと人目を避け地下に掘られた通路を通って、社会勉強へと向かったとも・・・・・・・日本語ガイド;メルテム・ヤラルさん

長方形はクレジットカードもOK・・・・??(*^O^*)  添乗員;佐藤真奈さん(早速頂戴しました)
売春宿の案内石
旧跡観光の後は、革製品店へ

革製品加工・販売店
道中、羊の放牧民の姿が多く見られ羊製品(肉等)等が盛んでである事がうかがい知れた。

そしてこのお店に入って直ぐ専用の革製品のファッションショーと全くそつが無い。

それがこれだ
これまでの撮り置き写真はこちらです
11月18日
世界遺産【パムッカレ】
石灰棚・・二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が石灰の大地中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かし地下水となり、その地下水が地熱で温められ地表に噴き出して温泉となり、その温水の中から石灰が沈殿して、純白の棚田の様な景観を作り出している。
温水の廻らない所は黒く変色してしまうので、その白さを保つため人工的にお湯の流れを変えて管理しているとか。
純白の石灰棚
【ヘエラポリス遺跡】
パムッカレ(石灰棚)の一番上にある遺跡。

ローマ帝国の温泉保養所として栄えた。その時代にも地震で破壊され、その後復興したものの1354年の大地震で完全に廃墟となってしまう。

ローマ劇場・ローマ浴場跡が残っている。
ヒエラポリス遺跡

近くには有料の遺跡温水プールがあり観光客が温泉浴を楽しんでいた。

入浴をしなければお土産店が併設されているため、自由に出入りする事が出来ました。
遺跡温泉プール
専用車でパムッカレ→コンヤへ410㎞(約5時間30分)

【メヴラーナ博物館】
メヴラーナ教団の創設者ジェラルディン・ルーミーの霊廟。

6,500平方メートル敷地にはメヴラーナをはじめとする教団の発展に尽くした名僧達の霊廟、資料室、修行場などがある。

メヴラーナ博物館(ジェラルディン・ルーミーの霊廟)
塔(ブルーの塔)の下に創設者の【ジェラルディン・ルーミー】、その周りに弟子達が眠っている。
そのお祈りは純白のドレスを着て、右手を上げ手のひらを天に向けて左手を下げ、音楽に合わせてゆっくり回り続ける。
右手で天から幸を頂き、左手から信者に幸せを施す・・・・・
資料館内
11月19日
コンヤ→カッパドキアへ専用バスで陸路230㎞(約3時間)

延々4車線の続く直線道路【ローマから中国までの旧シルクロード(絹の道)】。

途中今でも当時の姿を残している【隊商宿(キャラバンサライ)】を見学。

この【絹の道】にはキャラバン隊が一日に旅が出来る30㎞~45㎞間隔で建てられていて、周辺には何もないところに建てられた宿は、宮殿(サライ)の様に大きく立派な建て物である事からキャラバンサライと呼ばれる様になった。

滞在も一日でなく三日間も滞在する商人を増やし、街を活性化する事を奨励する為に食事や飲み物を充実させ、靴の修理や動物(ラクダ・ロバなど)の世話まで宿泊期間中は全て無料でサービスをして、より多くの商人が訪れるように工夫をした。

その取り組みにより【セルジュク】トルコは交易による多大な利益を得て繁栄の道をたどる事になる。

隊商宿(キャラバンサライ)
中庭がある二階建ての建物で、一階は取引所、倉庫、風呂、食堂、管理人や使用人の住居。

二階は商人達の宿泊施設となっていて、夜警の役職が常駐し安全も確保されていた。
宿の内部
中央はお祈りをするための建物で、左右に取引所、倉庫、風呂、食堂、管理人や使用人の住居。
一番奥が動物たちの畜舎。


更に専用車で移動して世界遺産【カッパドキア】観光。

アナトリア高原中央部に位置し、約100㎢にわたって岩石地帯が広がる大地。

キノコや煙突の様な形の奇岩が林立し、ローマ帝国の弾圧から逃れたキリスト教の修道士達が、カッパドキアに移り住み柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作りました。

その地下都市は地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なもので、地下一階のワイン製造所、地下二階の食堂、居間、寝室など収容人数に合わせて自由に掘り進められました。
地下都市内部
外部からの進入を防ぐ石の扉(転がして通路を塞ぐ)
石の扉
洞窟住居の一般家庭でティータイム。
現在もこの洞窟住居で生活をしているご家族を訪問して、トルコ紅茶のチャイを頂きました。

中にはトルコ絨毯織機、その織機で織った鮮やかな絨毯を惜しげもなくまんべんに敷いてあり、ほのかなぬくもりが身体全体を暖めてくれました。

カッパドキアは寒さが厳しく、ストーブ(燃料は石炭)は欠かせない様です。
洞窟住居の居間
そして今夜の宿は洞窟ホテル。到着したのは5時前でもあたりは薄暗くなっていて、こんなロマンチックな光景をかもし出していました。(トルコの夜明けは遅く、夕暮れは早い)
明かりが幻想的な洞窟ホテル
くりぬいて作ったとは思えない内部
いよいよ明日は旅の終盤、カッパドキアの上空を熱気球に乗って・・・・・・・

11月20日
夜明けが遅い薄暗い朝5:10分、熱気球会社からの迎のバスで飛行地へ。
迎へに来てくれたドライバーさんの陽気さであっという間に到着。

飛行条件が整うまでそこのレストランで朝食を頂き心躍らせる。外は大分冷え込んでいる様子。
      

       さ~ぁ飛行開始。
短い足でバスケットに乗り込むのが大変
気球に熱風を送り込んで上昇開始。
思ったより凄い迫力
まるで巨大なシャボン玉が飛んでいる様な感じ、バルーンとバルーンが接触しながらもゆっくりゆっくりと風下へ流れて行きます。


奇岩を眼下に凄い迫力
一つのバスケットに約20人から25人程乗る事が出来る大きさ、中には5~6人の小さな気球もありました。

パイロットを含め総勢22名のフライトでした
着地の後は無線で連絡を取り合って追えかけて来た、バスケット運搬専用トレーラーから降ろしたたテーブルに並べたグラスにシャンパンを注ぎ込んで、    かんぱぁ~い。

カッパドキア→アンカラへ陸路280㎞(約4時間30分)ホテル到着。

11月21日
アンカラ(ホテル)→イスタンブールへ陸路450㎞(約6時間)

世界遺産【イスタンブール旧市街観光】ブルーモスク。

 このブルーモスクの高さは、43m、直径23.5mの巨大なドームと
その周囲には、ミナレット(削った巨大鉛筆を垂直に立てた様な塔)と呼ばれる尖塔が6本あり、このミナレットの数が多いほど格式の高いモスクらしい。世界で 唯一6本のミナレットがあるのは、ここブルーモスクだけ。

内部はとにかく天井が高く巨大な円形ドーム。

中央天井
そこから歩いてトプカプ宮殿
 このトプカプ宮殿 は、コンスタンティノープルを征服したメフメット2世が1459~1465年という7年近くの歳月をかけて建設させたもの。

現在は武具展示室となっており、明治時代にイスタンブルに滞在した日本人、山田寅次郎がアブデュルハミト2世に贈った日本製の甲冑が展示されている。
宮殿入り口
グランドバザール散策。

イスタンブールの旧市街にあるグランドバザールは約4000軒もの店が出店していて、貴金属から絨毯、衣料品、陶器やアクセサリー、トルコのお守り目玉など何でも売られています。

出入り口だけでも20ヶ所もあり、中は迷路の様になっていて通ってきたところを覚えていないと迷ってしまいます。

通路を歩く観光客に合わせて、その国の言語で店員が声をかけてきます。店員がその観光客の国籍を見分ける事が売り上げアップに繋がっている様です。

グランドバザール

ガラタ塔での夜景&ベリーダンスディナーショー。

トルコ共和国のイスタンブールのカラキョイ地区に ある石造りの塔。9階立てで、高さは66.9メートル。イスタンブルの街を一望でき、人気の 観光名所となっている。

ビザンチン帝国時代の528年、アナスタシウス帝が灯台として建設させたが1204年に第4次十字軍遠征で一度破壊されてしまいます。

1348年にはジェノヴァ人が残ったがれきを利用して再び建設することになります。

その後捕虜収容所や天文台、火災監視塔などとして使われるものの、2度の火災や嵐などで一部損壊。現在の姿になったのは、1967年以降のことです。
それ程広くない最上階はパブスナック&レストランとして使用され、ステージでベリーダンスディナーショーが行われています。

レストランのある展望テラスから360度のパノラマ夜景はイスタンブール随一と云われています。

灯が点ったガラタ塔
ガラタ塔
360度楽しめる塔からの夜景
11月22日(帰国)
イスタンブール発→モスクワ(シェレメチポ)へ
乗り継いでモスクワ(シェレメチポ)発→東京(成田)

参加者全員元気に無事帰国出来ました。

今回楽しい旅が出来たのも、ご一緒頂きました皆様の温かい心と、添乗員(佐藤真奈)さんの笑顔と優しいお気遣い、そして現地ガイド(メルテム・ヤラル)さんの豊富な知識でご案内頂いた事に感謝しています。

本当にありがとうございました。

願わくば、又いつか何処かでお会い出来る事を・・・・・・・・・・。

17日から21日までの撮り置き写真はこちらです。

趣味の菜園【吾妻の雪うさぎ】にも是非お立ち寄り下さい。



2012年11月2日金曜日

新旧交代。


15年間共に働いてきた愛車【トヨタセルシオ】が間もなく走行距離 30万㎞ に近づき、小さな不具合も現れ始め、一年半の車検を残し新しい車と交代しました。

主に妻が使用していましたが送り出す時は二人で思わず【ありがとう】の言葉と共に熱い物が頬を伝わって来ました。
頑張ってくれた平成9年式【セルシオ】
事故も無く長い間【ありがとう】
新しい車は妻の希望もあり、ちょっと頑張って【メルデスベンツ】 Eクラス


 全長は少し短くも幅は18㎜ほど広く、全体的に小さく見えるのが不思議?

 長年黒色に乗っていたのでやはり黒色に。

今日は朝から木枯らしが吹き荒れ、吾妻山には冠雪も見られました。

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2012年10月16日火曜日

中田英寿さんと半谷窯。

今日も朝から風も無く絶好の行楽日和。

妻と【磐梯吾妻スカイライン】の紅葉狩りに出掛ける途中、福島卸市場開設40周年祝賀会の記念品として受注頂いていた、【半谷窯】と【先達窯】のマグカップの制作進行状況を確認する為、双方の工房を訪ねたところ、駐車場に停まった前の車からあの有名な元サッカー選手。元日本代表の『中田 英寿さん』が降りて来てビックリ!!・・・・。

伺ったところ前に連絡が入っていて、本日訪問する事になっていたとか。写真撮影その他は差し控えて、邪魔にならない様に拝見させて頂きました。

半谷さんご夫妻の指導により、大堀相馬焼の轆轤作業・釉薬塗りや走り駒の絵付け等を体験されていて、その手付きの良さに驚くと同時に強烈なオーラがしんしんと伝わって来ました。

半谷窯 半谷 貞辰 氏

椿絵 湯飲み
そして目的の紅葉を求め磐梯吾妻スカイラインへと向かいました。(ご購入はこちらから)

今年は9月の終わり頃まで猛暑日が続き本来の美しさが見られませんでしたが、それでも多くの観光客が訪れいて好みの場所で写真撮影をしていました。

私も超望遠(500㎜)レンズを取り付け撮ってみました。
500㎜望遠を最大にして撮影
浄土平近くの山並みの紅葉は例年より色づきが少し遅く感じましたが、快晴の青空との調和がとても綺麗でした。
雲一つない快晴

山肌と少し遅れの紅葉
この辺から硫黄の臭いが・・・
間もなく浄土平
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