2025年5月28日水曜日

タマネギの収穫

昨年晩秋に植え付けたタマネギは茎が倒れ始め、収穫期を迎えました。

今年は例年になく大きく育ち、昨年より豊作でした。

 

収穫したタマネギを5個単位で束ね、薪ストーブ用薪小屋の庇(ひさし)に吊し保存。

収穫当日、知人にお裾分けしたところ、早速調理して頂いたと写真付のLINEが届きました。

間もなくジャガイモの収穫期を迎えます。

隣接する花畑では水仙・チューリップも葉を枯らし、今は球根の熟成期に入っています。

そんな中【キガンジューム】は小さな紫色のぼんぼりが膨らみ始めました。
その奥に矢車草が満開


4本の梅の木には枝が折れる程実を付けています。


我が家の庭には【カルミヤ(アメリカ シャクナゲ)】やペチュニアの寄せ植えが満開です。


2025年5月17日土曜日

就職列車

【就職列車(集団就職列車)】をあなたは知っていますか ?

就職列車とは、かって盛んに行われた集団就職で都会に出る若者を運んだ列車で、そんな集団就職の最初の事例となったのは、昭和10年3月に凶作に見舞われた東北地方の救済策として秋田県で実施されたものとされています。

高度成長期の昭和31年頃から46年頃まで盛んに、中学校を卒業したばかりの「金の卵」と称された、若者達が青森や熊本から親元を離れ、主に大阪・東京へと集団で就職先に向かう専用列車でした。

ホームには見送りの親や親戚の皆さんが集まり、我が子との別れに涙ぐみながら手を振り、車内の子供達はハンカチを手に泣き崩れる姿。


当時は新幹線もなく熊本から大阪まで18時間、そこから更に東京までは数時間と一日がかり。

その時の映像を見る度、胸が詰まってしまいます。

私はその最盛期の昭和34年中学卒業でしたが、農家の長男坊で農家の働き手の一人としてその集団就職には加わる事はありませんでした。

就職が決まった同級生は不安と希望を秘めた笑顔が、今、思い出しても涙くんでしまいます。

中には受け入れ先の厳しさに耐えきれず、自ら命を絶つ者やその厳しさに耐え成功を手にした人と様々。

そんな中の昭和39年5月に発表された【あゝ上野駅】が空前のヒット曲となりました。

        二番目の歌詞
          就職列車に ゆられて着いた
           遠いあの夜を 思い出す
            上野は俺らの 心の駅だ
             配達帰りの 自転車を
            とめて聞いてる 国なまり

この曲でどんなに励まされ、勇気づけられた事だったでしょう。

作詞家の関口義明氏は、上野駅で見かけた集団就職の少年達を題材に書き、農家向けの家庭雑誌【家の光】の懸賞に応募して1位の入選を果たし、発売当初は途中の台詞は吹き込まれていなかったが、井沢八郎氏がテレビの番組に出演中、父が亡くなった事を知らされ、間奏の途中にアドリブで入れちゃった台詞が反響を呼んだため、後に台詞入りのバージョンをレコーディングして改めて発売したという。

食道癌で失った父を受け継いで、今は娘の【工藤夕貴】さんが守り続けておられます。

因みにカラオケ大好きな方はご存じだと思いますが、数年前までは歌詞本の1ページの一番目に載っていましたが、今は新しい曲が続々出ており表示が変わっているようです。

集団就職を経験された方々は今、70才から80才位になっておられるでしょうか。

その方々のご苦労が、今の日本の石随となっていると言っても過言ではありませんね。


2025年5月6日火曜日

ニホン ミツバチの分蜂(巣別れ)

春先の分蜂に備えて準備していた物。

・ ネットで購入して少し手直しをした捕獲用タモ。
・ 約60cm高さの植木鉢用スチール製台
・渋うちわ。(蜂球の根元に差し込んでタモに落とします)

壊れた高枝切狭を改造して高所捕獲用に

手前の紐を引くと閉じて、取り込んだ蜂を封じ込めます。

そこに挟まった蜂は圧死してしまいますが仕方がありません。

以前紹介した趣味の菜園に設置していた、ニホンミツバチの巣箱に昨年7月3日自然入居。

厳しい冬の寒さを乗り越えて、第一回目の分蜂(巣別れ)が今年4月30日に、その近くに待ち受け箱を設置していた屋根裏に蜂球。

そして僅か数日後、西風の強い5月3日今度は近くのアカシアの枝(2.5mの高さに)に蜂球。

動画の中の5月30日は、4月30日の誤りです。

捕獲用タモに取り込んだ蜂達を、植木鉢台に通してその上に空の巣箱を乗せ、暗いところに登っていく蜂の習性を利用して取り込み、外してある底箱に重ねて完了です。

外に漏れた蜂たちは、女王蜂の出すフェロモンに誘われ巣門から次々と入っていきます。