| 壁に穴 |
| 洗面所 |
| とりあえず元に戻して |
| 相模川河川敷 |
| パーク正面入り口 |
| 本堂 |
| 六地蔵 六地蔵とは 人は今世の滅後に六道のいずれかに転生すると考えられています。 六道とは天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つで、六地蔵様お一人おひとり担当する世界が決まっているとされ、善光寺の六地蔵様の向かって右側のお地蔵様は別名大定知悲地蔵菩薩で、担当されるのは地獄で、地獄に転生する者は人としての道から足を踏み外しており、その地獄を担当されるお地蔵様もそれを表すために足を外して座っています。 |
| 濡れ仏 |
| 走行距離1232㎞ |
| 当時乗っていた日産チェリースポーツ(この色) |
| 河合楽器製作所保養所 |
何時もの朝、何気なしに車で走っていると、40代前後の男性・女性が着飾った礼服にブーケを付けて、同じ方向に向かって大勢歩いていた。
その先は県立工業高校の卒業式会場だった。
梅の花も咲き始め、春の兆しが漂いつつある暖かい日の卒業式、多くの若者達が社会人・大学と新たな生活に巣立って行くのに素晴らしい一日になりそう。
人をあまり怖がらない鶺鴒(セキレイ)も忙しく動きまわり出し始めました。
昔は卒業式で【君が代は】【蛍の光】【仰げば尊し】は卒業ソングの定番であったが、今ではそれも変わって歌わなくなったようで、私達の年令には淋しさも感じてられます。
歌わなくなった理由には、歌詞の意味が理解出来ない、今の時代にそぐわない等とかだそうですね。
【蛍の光】を下級生が【仰げば尊し】を卒業生が歌い出せば自然と涙が流れ出す様は、今はどうなのでしょうか?
【仰げば尊し】昔懐かしいオルガンの演奏曲をYouTubeで見つけました。
その歌詞の意味は!
1.仰ぎ見るほどの尊い 恩師のへのご恩
学校の教訓を学んで もう何年も経った
思い返すと 学校生活の時が経つのがとてもはやかった
今まさに別れよう さようなら
2.互いに仲良く過ごした友へのご恩
卒業した後も これらの思い出を忘れないで過ごして
自立し 世に認められ 励みなさい
今まさに別れよう さようなら
3.朝から夕方まで 学び続けた学校
蛍の明るさや 積もった雪の光りを頼りに勉強した
忘れることなんてない 過ぎさった日々
今まさに別れよう さようなら
9日、会津若松へ仕事関係の告別式(10:00)に出向き、終了後雪の鶴ヶ城を同行した方と散策。
| 会津若松 鶴ヶ城 |
今まで何度も訪れてはいたが今回、歴史的重要な福島県指定重要文化財【茶室 麟閣】に入ってみる。
| 少庵ゆかりの茶室 麟閣 |
| 茶室 にじり口 |
本来なら苔むす庭園を眺めながら頂く抹茶ですが、豪雪地帯のこの時期故ストーブで温められた小屋で抹茶と薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)を頂く。
そしてこの茶屋はかの有名な【千利休】との関係がある事にも気づく。
ご承知の通り千利休は、豊臣秀吉に切腹を命じられ70歳でこの世を去る。
豊臣秀吉と千利休
秀吉はあらゆる頂点に立ち、出来ないことはないと考える天下人で、唯一嫌い嫉妬の対象としていたのが千利休で、質素で完璧な美学で無駄な装飾を極限まで削ぎ落とし、たどり着いた美の境地に秀吉は許せなかった様で、そんな理不尽な理由を付けて切腹を命じたのですが、実際には切腹をしてほしい訳ではなかったようです。一言謝罪の言葉を述べるだけで許されたとも言われたが、 千利休は自身が秀吉に謝る理由はないと断り、妻に見守られながら切腹をしたのでした。
天正19年2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、蒲生氏郷(がもううじまさ)は利休の茶道が絶えるのを惜しんで利休の子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけるのです。
切腹に値しない千利休の罪
切腹を命じられた千利休ですが、公的に「天下人の嫉妬」という名目で切腹を命じることは出来ず、そこで、秀吉の部下で石田三成は二つの罪を挙げることで、切腹の命令を執行しようと試みたとされています。
1,大徳寺山門の金毛閣に建てられた千利休の木像が不敬であったこと。
2,茶道具を法外な高価で売り、売僧と成り果てていたこと。
この二つは秀吉の嫉妬と誤解でもあったのです。
一つ目のは金毛閣に建てられた千利休の木像は本人が建てた物ではなく、実際は応仁の乱で焼けた寺の再建のために千利休は多額の寄付をしていて、寺がその功を顕彰するために建てたのが千利休の木像だったのです。また千利休が考案した茶室の「にじり口」は、武士も商人も誰もが身分差がなく頭を下げて入る事で茶室では皆が平等を意味していたのです。そして狭くて刀を差したまゝ入れない事にも秀吉は怒りを感じていたようです。
二つ目は千利休には類稀な美的感覚があり、その目利きを選んだ骨董品は誰が見ても分かる確かな物で、市場では価格が上がり茶の湯に憧れを抱く商人達が買い求め、転売に転売を重ね価格が一気に上昇するのです。そして千利休が大切にしていた香合には、秀吉自身が小判千枚の価値をつけて交渉したとも言われています。
香合とは、茶事において茶室に香を焚く時の器。
| 節分草 |
毎年松の内を過ぎた1月14日に正月飾りの札納めにここ【中野不動尊】に行っていましたが、節分(2月3日)が過ぎた今日、時期遅れの札納めに行って来ました。
遅れた理由は、年末近年にない大雪の雪掻きで腰を痛め、高い神棚の飾り物も外せず病院通いと温泉療養とで時期を逃してしまい、ようやく痛みも治まり歩ける様になり出掛けて来ました。
ぐるっとナビより
今までは牛蒡しめ縄でしたが、今回は鼓銅型しめ縄にしてみました。
| 一番高い鼓銅型しめ縄が外せず三日前まで残って・・・ |
以前にも書き添えた事もありますが、東北、関東、九州等多くの松の内は1月7日、関西地方を中心としたエリアは1月15日。
もともと松の内は、全国的に1月15日までだったのですが、江戸時代に明暦の大火(1657年:明暦3年1月18日~20日)が起きたあと、「燃えやすい松飾りを早く片付けるように」と幕府が1月7日までと定めた事だとか。
話は戻りますが、毎年外側の各お堂にお参りしてたのですが、今回は内側の隠れたお堂・尊仏にお参りして廻り、20年に一度の開帳、涅槃図も参拝する事も出来ました。
| 中野不動尊所蔵【涅槃図】 |
世の病には癌・心臓疾患・糖尿等など数えれば切りもありません。
昨年暮れに近年にない大雪に見舞われ、雪掃きに翻弄されると同時に腰を痛め正月明けの2日から痛みが強くなり病院通い。
事故や怪我も病気が原因で起こるうる事もあり、健康である事を改めて考えさせられました。
私の車も雪下ろしが出来ないまヽ。
結果は【圧迫骨折】らしく、入院・手術の必要もなく身体を冷やさず時間をかけて治す方法しかないとの事。
医師の指示に従い痛みに堪えて月中まで過ごすも、身の回りの事も出来ない状態になってしまう。
コロナ禍から仕事もオンライン化も進み、何処ででも仕事が出来るようになり、それなりの機器を持参して20日から一週間の予定で、栃木県【ホテルエピナール那須】に投宿。
到着と同時に早速温泉に浸かり身体を温める。
ここ那須も夕方から雪が降り出し、窓から那須連峰【茶臼岳】が目の前に望める那須平野の裸木林の地面に残雪が少し残っていたが、一夜明け一段と白さを増しました。
話は少しが外れますが、以前飼っていた雌の我が儘ハスキー犬(舞蘭)がとにかく留守番が嫌がっていたので、最近は泊まりで出かける時には必ず写真を持って(連れて)来る事にしています。
ホテル内には色んな施設が揃っていて、浴衣姿で何処へでも自由に行けるのでリハビリには最適。
朝・夕の食事は大きな会場で種類も多いバイキング。
ディナーバイキングでは毎晩、今が旬の【あんこう】の吊るし切の実演があり、その材料を基に【あんこう鍋】も自由に食べられる。
今回、土曜日・日曜日は素泊まりを選択して、和・洋・イタリアンの中から和食を選び【和匠ダイニング菜す乃】で。
| 私はお寿司 |
| 妻は一日20食限定那須の内弁当 |
広いロビーでは毎日、夜9時から生ライブがあり宿泊者に人気。
歩く事も寝起きするのも辛かったが、三日目(22日)の今朝はスムーズにベットから離れる事が出来、温泉効果が出たのだろうか?
痛みが和らいだ日中は館内散策、PCと戯れながらのんびり過ごしています。
今日は土曜日とあって子供連れのお若いご夫婦や、両親と子供達を連れたご夫婦、若いカップル達が次から次と訪れチェックインを済ませていました。
大きな浴場は芋洗い状態で、小さなお子さん達は裸で走り回っては転び、大はしゃぎです。
投宿して四日目、朝風呂を浴びて窓際の机に向かうと茶臼岳が丸ごと見渡せる素晴らしい天気。
薄皮を剥ぐ如く痛みも和らぎ、履けなかった靴下等も少しは楽に履けるようになる。
効果が得られそうなので、後二泊三日(27日まで)延泊を検討中。
同室での延泊がとれたので追加予約。
遅めの昼は当ホテル特製のパン・ケーキ類で人気のある【パンのアトリエ・エピドール】で喫茶。
| アトリエ・エピドール |
| パン・あんみつ&コーヒー |
| ヒロ森本 |
|
| なんとニッコー |
| オリジナルCD |