オリンピック出場をかける2026アジア選手権バレーボルで男子が優勝し、オリンピック出場が決まった。
二年後のロスオリンピックが楽しみです。
過去のオリンピック男子 女子
1964年、東京オリンピック 銅メダル 1964年、東京オリンピック 金メダル
1968年、メキシコシティ 銀メダル 1668年、メキシコシティ 銅メダル
1972年、ミュンヘン 金メダル 1972年、ミュンヘン 銅メダル
1976年、モントリオール 4位 1976年、モントリオール 金メダル
1984年、ロサンゼルス 銅メダル
その後、男女とも低迷。
女子は惜しくもオリンピックの出場は叶わなかったが、その強さは証明出来たと云えるでしょう。
予選ラウンドの結果 日本3ー1オマーン
日本3ー0バーレーン
日本3ー0オーストラリヤ
決勝ラウンドの結果
スポーツは戦いの時は敵味方の争いであっても、以外は深い友情に包まれ、人としての思いやりに涙してしまいます。
改めて国と国の争いに巻き込まれない事を願うのみです。
私も学生時代はバレーボールに勤しみ、厳しい練習に耐えインターハイ全国大会・国体・全日本選手権を経験しました。
バレーボールに携わった事がある方は、39歳の若さでこの世を去った日本バレーボール界の名セッター:猫田 勝敏氏(1944年2月1日生まれ)の事は記憶にあると思います。
彼は私より一つ歳下の早生まれで学年は一緒、天井サーブを編みだし話題になりました。
前記した様に東京オリンピック・メキシコオリンピックでは金メダルは逃したものの、1972年、ミュンヘンオリンピックで念願の金メダルを獲得。
盟友の大古誠司氏は全盛期、全日本が負けると『セッターの猫田の責任だ』とマスコミに叩かれ、大勝すると『攻撃陣大活躍』という活字が新聞に踊ったが、当時のメンバーだけは知っていて、負けたのは全部アタッカーのミスで、勝った試合は全部猫田のトスのおかげだと語る。
【大古 誠司(1948年2月15日生まれ)】
彼の代名詞は『世界の大砲』と証され、スパイクのボールが床に当たり破裂した程の強烈なスパイカーでした。
バレーボールのルールは以前と大きく変わりはしているものの基本は変わらず、セッターに如何に正確なボールを返すかで、それによりアタッカーは敵のブロックをかわし、相手のコートに打ち込む事で加点に繋がります。
【ブロック(MB)の重要性は】
① 相手のスパイクボールをネット際でブロックし、相手のコートに瞬時に落とし加点。
② 同じく相手のスパイクボール(男子;時速120㎞~130㎞)をブロックタッチして威力を弱
めレシーブをし易くし、セッターに正確なパスを送り味方のスパイカーに繋ぐ。
今回のセッター深津英臣選手(36歳)、を見ていて安心出来る程正確なトスを上げて勝利に貢献していたと思います。
【リベロ(L)とは】
選手の中でサーブも含め攻撃の出来ない選手。
代表の山本智大・小川智大選手の神技が凄かった。
【バレーボールの起源】
当時、アメリカのインドアスポーツと云えばバスケットボールが断然人気でした。
しかし
① 接触プレーが多く危険。
② 中高年や女性には運動量が多い。
と云う事から年代を問わず気軽に出来るスポーツが必要だと云う事になり、「ウィリアム・G・モーガン」が1896年に考案し、1913年に日本に伝わる。
当初はテニスやバトミントンをベースに、「ミントネット」と云う名前からスタートし、最初に出来たルールは「床にボールを落としたら負け」で、こちらは今も変わらず残っているルールで、1952年に「バレーボール」と云う名前になりました。
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