2015年12月31日木曜日

2015年12月27日日曜日

暖冬・雪不足・初雪

今年は暖冬で近くのスキー場では雪不足、年末年始の滑走は難しい所が多いようです。

一昨日から寒波襲来の情報も報道され、恵みの降雪に安堵しているスキー場も紹介されていたようですが、未だ未だ雪不足が続きそうです。

そんな中、当地でも昨夜の雨が雪に変わり、うっすらと雪化粧です。
初雪
明日は仕事納めで、故郷に帰られる方も多くおられる事でしょうが、慣れない冬道には充分注意され、楽しい思い出をお土産に無事戻られる事を祈りたいものです。

2015年12月2日水曜日

第15回、イヤシマスナイト

師走に入り街中は一段と忙しさが感じられる様になりました。

そんな中、恒例のイヤシマスナイトが、市中心部にある音楽堂で開催された。

主催者は元ラジオ福島アナウンサー、現フリーのアナンサー【荒 川 守 氏(アナウンス学院主宰)】。

第15回イヤシマスナイト
オープニングは地元福島、ジャズ奏者【齋藤善護氏】のギター演奏で始まり、会場のムードを盛り上げて下さいました。
ジャズ演奏活動の齋藤善護氏
続いてアナンサーならではの透き通った声と、場馴れした流暢さで与謝野晶子、金子みすゞ等々の詩を朗読。
荒川 守氏
毎回、忙しい師走の時期、癒されています。

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」、金子みすゞの「お魚」、「大工と鬼六」・・・・の朗読に続き、
福沢諭吉の「桃太郎盗人論」、終わりは「宮本武蔵の子」の朗読でした。

なぜ武蔵は小次郎に勝つ事が出来たのか、武蔵の考えや行動を検証してみましょう。
① 佐々木小次郎のいる敵地に乗り込んで戦う事。
② 無事に巌流島に行き着けるか? 試合に勝ったあと無事に立ち去ることができるか?
   武蔵の計画の大前提は、「無事に島に着き、無事に島を立ち去る」ことが必須でした。
③ 決闘の日の朝早く、船宿の主人に潮の流れを聞いていた。
④ 宿の主人の情報に基づき、計画を立てる。
⑤ 上げ潮に乗り、短時間で巌流島に到達して、試合後は引き潮に乗り早く立ち去る事。
⑥ この作戦を実行するため、武蔵は予定を2時間も遅らせて出発する事に。
⑦ 船の中で、小次郎の長刀に対抗するため、長い木刀を作り自分の武器とする。
⑧ 予定時間を遅らされた小次郎はイライラして直ぐに向かって来ると推察し、
       自分が太陽を背にすることで、小次郎の精神も瞳も疲れさせる事。
        


時は、慶長17年(1612年)4月13日。
巌流島は山口県下関市にある、無人島で戦いが繰り広げられ、決闘を約束した辰の刻(午前8時)から2時間後、宮本武蔵は巌流島に船でやってきます。
小倉藩剣術指南役・佐々木小次郎は待ちくたびれて、苛立ちを抑えきれず小次郎は刀を抜き、海へ鞘を投げてしまいます。(鞘に刀を収める事の出来るのは勝者のみ・・・・)
武蔵が小次郎のもとへ刀を振りかざし,眉間目掛けて打とうとしたとき、武蔵は素早く木刀を振りました。
武蔵の刀は小次郎の額に当たり、小次郎は倒れ武蔵の額にしていた鉢巻は小次郎の打った刀により二つに切られましまいます。
武蔵は倒れた小次郎に、再び木刀を振り上げた瞬間、小次郎は刀をかざし武蔵の袴を三寸切り裂きました。
しかし小次郎は脇腹や横骨などを打たれ気絶しましまい、武蔵は一礼して立ち去り、小舟に乗って下関の方へ進んだといいます。
小次郎は敗北しましたが、地元の人々に慕われの小次郎の剣の流派である「巌流」からとって、
その島を「巌流島」と呼ぶようになりました。

今回は15回目の記念と云う事で、豪華景品の抽選会があり会場は一層盛り上がっての終演でした。
豪華賞品抽選会
又、来年の【イヤシマスナイト】が楽しみです。

2015年11月14日土曜日

紅葉・定期検診・友の入退院

【趣味の菜園】で作業を始めようとした所へ小中学校の同級生から電話があり、腰から下のしびれと痛さで動けないとの事。

私の掛かり付けの病院(福島北医療センター)に直ぐ電話をして診察して頂いたところ即入院を告げられる。

症状は以前、私が雪かきが原因で入院手術をした症状と全く同じで、約二週間の入院との事でした。
記念に
奥様が一人で理容所営んでいる事もあり、、彼の世話を引き受ける事に。

入院は31日でしたが私の都合で30日に早めて頂き、11月2日手術を受けました。

その間、何度か様子を見に部屋を訪ねて見ました。

元々ムードメーカーの彼故、手術後の痛みも取れ僅かな間に病院の中で人気者になっていました。

私が定期検診に月一回訪れる日が今日(14日)の為、彼の退院日も勝手にそれに合わせてしまいました。

朝一番で彼の自宅を訪れ奥様から入院費用を預かり病院に。

月に一度通る道筋の【高子沼】沼では、雨の中【ヘラブナ】釣りで当たりを待つ太公望達が多くおり、終わりに近い紅葉も雨に濡れて一層綺麗に見えました。
高子沼ヘラブナ釣りと紅葉
雨にも負けず一心に当たりを待つ太公望の姿が霞んで見えます。
遠くにも
私が順番を待つ外来に、入院最後の診察のため病衣姿で肩で風切るような格好で彼が現れる。

私が先に呼ばれ何時も顔を見るだけ位の診察なので、『彼の入院日・退院日を決めて頂き有り難うございました』と先生に雑談混じりに皮肉られ、退院後は貴方からも無理(ゴルフを控え目に)しないようにとの言付けを彼に伝える。

退院手続き終わるまでロビーで待つ間、中庭の紅葉が凄く綺麗だったので撮影。
終わりに近い病院に中庭の紅葉
一際目立った真っ赤な楓。
こちらも雨雫を付けた楓
二人で雨の中、車に向かう途中病院の白い壁をバックに、こちらの紅葉もとても綺麗でした。
福島北医療センター外庭
帰る道々、以前から予定していた19日のゴルフ雨の予報なので、18日に変更しようと彼が言いだす。

思わず私も乗ってしまいました。

先生すみませ~ん




2015年9月27日日曜日

塙町ダリア園

以前からこのダリア園の事は知ってはいたが、昨夜、テレビを見ていたら【塙ダリア園】の様子が報じられ、急にいってみようという事になり出かけて来ました。

大型連休後の日曜日とあって、道路の混雑は殆ど無くとても軽快に目的地に到着。
湯遊ランドはなわ
会場も思ったより空いていて、思う存分色とりどりのダリアの観賞が出来ました。
ダリア園
日帰り温泉宿泊施設「湯遊ランドはなわ」の敷地内に、大輪中輪300種5、000株のダリアが咲き誇る。

大きな目的はダリアの観賞を兼ねて、球根を購入する事。

妻は受付で購入用の申し込み書受け取り、お気に入りの花を見つけその品種名を記入していきます。

まるで品評会の審査委員みたいな感じです。

まず最初に選んだのが中輪(直径約20㎝)の【美桜】
美 桜

次に大輪(直径約30㎝)の【白銀の糸】
白銀の糸
今まで見た事ない花々に圧倒されながら、これもあれもと迷い乍ら次に選んだのが大輪(直径約30㎝)の【ドリームダンス】 
 
薄いショッキングピンクで花びらの先が内側に曲がっていて、雌しべと雄しべを優しく包んでいるような感じです。
ドリームダンス
ここまで選んで来れば色合い的にも黄色でしょう。
 
という事で選んだのこちらの中輪(直径約20㎝)のイエローパール。

イエローパール


これを購入使用と思ったところ予約が殺到し、今年は終了との事で名前の表示もなく写真に。

お名前不明
この続きは妻のブログ【サトちゃんのブログ】で紹介していますのでお立ち寄り下さい。


2015年8月28日金曜日

アンナガーデン

ここ一週間雨降りが続き、気温もあの猛暑日が嘘のように20度前後と肌寒さも感じる程の涼しさ(寒さ)です。

長袖シャツを着込んだり厚めの布団を取り出したり、ストーブを物置から出して掃除をしたりと、身体がそれに対応しきれなく体調を崩してしまいそうです。

そんな中、久しぶりに二人(妻)の時間が取れて、アンナガーデンにある行きつけのピザ屋さんのランチに出掛ける。
アンナガーデン
このアンナガーデンは福島市西部吾妻山の麓の土湯温泉近くにあり、今日も小雨混じりの曇りで寒く感じる昼時でした。

私は決して食通ではありませんが、ピザは【セントヒルズPizza】、カツは此処・パスタは此処等々・・・・と決めている変なおじさんです。
イタリアの味 Pizza
セントヒルズPizza
ここには噂のアイスクリーム店【モンジュー】・器の店・小物屋さん・喫茶店・アンティークな家具店等々、一寸出掛けて見たくなる所です。

器の店と奥がピザ屋さん
一番奥の少し高台に【聖アンナ教会】があり、ドレスに着飾った新郎新婦が生涯の誓いを交わして式を終えた後、自慢のロンドンタクシーで披露宴会場まで送ってくれます。
ご自慢のロンドンタクシー
聖アンナ教会
この場所の建物・立木の間からは福島市内が一望出来る癒やしの場所でもあります。

しかし、間もなくこの教会も閉鎖されてしまうとか?・・ちょっと寂しくなってしまいますよね

2015年8月21日金曜日

田舎館【田んぼアート】

以前からその情報は知っておりましたが、小・中学校同級生ゴルフ友達の勧めもあり、青森県南津軽郡田舎館村の【田んぼアート】を見に17日から20日迄、妻と車で出かけて来ました。

その友人から開館時間(9:00)後の12時から午後2時頃は、大勢の人達で思った様に見る事が出来ないとの事で、自宅を夜の9時に出発して高速を全く使わず、途中食事やお茶タイムを挟み朝8時を目標にひたすら走り続けて、第一会場に7時30分、約10時間で到着です。(お暇なのですね~ぃ
田舎館村役場天守閣
色が異なる稲を巧みに植えて編み出す壮大な稲のアート。

田舎館は北方稲作文化発祥地と呼ばれ、お米どころの威信をかけてことしで23年目となる【田んぼアート】は世界的にも有名です。

2012年からは第二会場もスタートし夏を彩る青森の観光名所の一つとなっています。

下から見る【田んぼアート】は何か枯れ果てた稲が汚く生えているような感じです。
雑草が生い茂っている様な感じの田んぼ
開場時間まで駐車場で車の中で休んでいると、役場職員達が揃いのTシャツを身に纏って続々登庁。

見物客は未だ全く到着していなかったが、開場時間が近づくと少しずつ集まって来た。

約5~6番目に入場券を購入し、天守閣のエレベーターで物見櫓に出るとその見事さに驚かされた。

今年のテーマは【風と共に去りぬ】

10-20の広角レンズで撮影
【妻の感想一言】
毎年テーマは変えるそうですが、田植え前の企画から始まり、地元の皆さんやボランティアの方々の心意気がひしひしと伝わり、来年のテーマを楽しみに又、来年も訪れたいと思い乍ら、昔見た映画〝風と共に去りぬ〟の映像が蘇り、『どんな時でも どんな事でも明日のことは患うな、一日の苦労はその日だけで充分である。』 (私の勝手な想像です)

焼けたゞれた荒野に立ち、〝明日は明日の風が吹く〟と叫んだ スカーレット オハラのラストシーンを思い出した日でした。

あまりの壮大さで普通のカメラレンズでは収まらない事も友人からのアドバイスだったので広角レンズを持参。

道路を挟んで右側のアートは広角レンズでも入りきれない。

適切なアドバイスに感謝して、ゆっくり余裕をもって見学後第二会場へ向かう。

そこは【道の駅いなかだて「弥生の里」】と同じ広大な敷地に遊園地などが併設されていて見て・食べて・遊んでと全くそつが無い事にも驚きです。
展望台
直ぐ側には広南鉄道【田んぼアート駅】がありローカル列車が更に田舎さを醸し出している。
田んぼアート駅
第二会場テーマは【スターオーズ】。
10-20の広角レンズで
そして圧巻は白と黒の小石を並べた石のアート 惜しまれる人【高倉 健】さんです。
高倉健さん
沢山の遺作の中で特に【鉄道員(ぽっぽや)】は妻も私も涙した作品でしたので、見ていたら涙が流れて来ました。

そのシーンの中で小林稔侍 さんが一人寂しく逝ってしまった健さんに向かって涙ながらに【もう夢の中でしか会えんのう】と台本になかったアドリブで云った言葉が特に脳裏に残っています。


 


手元で見る7種類の稲の一部
色違いの稲


使った稲の種類を説明した物が貼ってありました。
使用した稲の説明
そのあと又全く高速を使わずに山道や田沢湖湖畔通り、二泊予約をし置いた【雫石プリンスホテル】に夕方4時前に到着。
雫石プリンスホテル
このホテルを予約した理由は盛岡在住の知人と三人でゴルフを楽しむ為でした。

出発から約19時間途中何度か眠気に襲われ乍らも無事到着し、その疲れがピークに達してホテル自慢の掛け流し温泉に浸かり夕食もそこそこ爆睡状態に。

因みに妻は話が途切れると眠っていた。

【19日】
スタート時間に合わせて知人がホテルに到着し、昨日までの疲れがすっかりとれ高原の爽やかな空気の中で思う存分楽しむ事が出来ました。
雫石プリンスGC
暑くもなく寒くもなく殆ど無風状態のベストコンディション。
から松コースOUT 9番ホールグリーン
プレー終了後、ホテルご自慢のコース料理を頂きながら四方山話が弾み、ふと気がついた時には周りには4~5組しか残っておらずお開きし地元の知人は家路に。

【20日】
遅めの朝食をとりホテルを出て、小岩井牧場に立ち寄り秋田方面に向かい日本海を南下して鶴岡→山形→米沢とこちらも全て一般道路を通っての帰宅です。

総走行距離1067㎞でした。




2015年8月14日金曜日

墓参り

昨日(12日)から久しぶりの雨降りが続き、湿気が多いものゝ続いたあの猛暑が嘘の様です。

13日墓参りを予定していたが一日中強い雨降りだったので取り止め、今日朝6時に出かけて来ました。

やはり今日に延期した多くの家族連れが訪れていました。

私の菩提寺はそれほど離れた所ではないのですが、妻方の墓地は福島市中央に聳える【信夫山】の中腹あります。

双方の墓参りを終え、妻方の墓地に隣り合わせて市の【小動物納骨堂】があります。

14年6ヶ月間、共にして星なった雌のハスキー犬、『舞蘭【ブラン】(通称;ブー子』も右から二番目の納骨堂で、14年間長生きした先代のお姉さん犬と共に眠っています。

先代の愛犬が亡くなってから約23年間、年2回の墓参を欠かした事がないのが自慢です。
沢山の花やお菓子が供えられた小動物納骨堂
 昨年まで無かった真新しい納骨堂(向かって左)が一際目立っています。
真新しい納骨堂
この子が元気だった頃は毎年2~3回、キャンプに連れだって約8年も続きました。

キャンプに行くのが大好きだったハスキー犬【舞蘭】
この写真も秋田県皆瀬村にあるキャンプ場(とことん山)でのもので、妻とテントをたたむ様子をじっと見つめている所です。

生前、何度も重い病に倒れ、その度〝ブー子キャンプに行くんだから頑張って〟と言い聞かせ3回程その危機を乗り越え、奇跡的に大好きなキャンプや散歩に行けるようになりました。

亡くなる6年前から糖尿病に犯され、妻と協力し小水を採取して血糖値を計り、インスリンの量を加減し毎日食事前の二回首筋に注射してからの食事でした。

獣医さんの指示の元細々と管理をして来ましたが、発病してから約一年で全く目が見えなくなってしまいました。

8年前の8月2日蒸し暑い夕方、様子が一変し〝ブー子もう頑張らなくとも良いんだよ〟と膝の上で抱きかかえ乍ら何度も言い聞かせ続けた所、コーヒー色のおしっこを漏らし静かに逝ってしまいました。

【ひまわり動物病院】院長先生も正月等の休みを返上して診察して頂き、こんな供養花とメッセージを頂きました。

舞欄ちゃん!糖尿病という重い病気を抱えながらとてもよく頑張りました。
お父さん、お母さんの手厚い看護お陰ですね。舞欄ちゃんの事忘れません。
とにかく水が欲しがる糖尿病でしたので茶の間にこの写真を飾り、真新しい水を供え続けています。
 
そしてこの【信夫山】は、山全体が公園になっており、柚の北限地としても知られています。

頂上には毎年2月の【暁参り】や8月の【わらじ祭り】でも有名な羽黒神社が鎮座しています。





大わらじ
 
市内を練り歩いた後は頂上の神社に奉納されます。
練り歩く大わらじ


2015年7月3日金曜日

会津磐梯町【慧日寺】えにちじ

7月2日・3日猪苗代町にある全4室の洋風旅館【ウェルカム ウェルカム】に知人ご夫妻と宿泊。

鉄分を含んだ天然掛け流し温泉が魅力で、知る人ぞ知るスウェーデンハウスの宿です。
洋風旅館 ウェルカム ウェルカム
周りは深い森に囲まれ、夏の木漏れ日が心を癒やしてくれます。
周りの緑に映える赤い壁に白い窓
小さな露天風呂は二人で入るのに丁度良い大きさ(左)
客室にある露天風呂も魅力(中)
そして内風呂(右)
   

和洋折衷フルコースにはオーナーが打つ、そば粉100%の手打ち蕎麦も出されました。

翌日は同行したご主人の希望もあり、史跡【慧日寺】えにちじ跡へ。
慧日寺 金堂
中門
金堂内部の天井は、屋根裏が直接見える「化粧屋根裏天井」となっていて、垂木の赤と胡粉を塗った化粧裏板の白が美しいコントラストを醸し出しています。
天井
身舎(もや)柱39㎝、側柱36㎝、総計36本にも及ぶ柱は、樹齢200年を超す四国のヒノキを調達いています。

【慧日寺】
平安時代の初め、南部出身の僧「徳一」によって霊峰磐梯山を望む山麓に開創されました。
東国の拠点寺院としてさまざまな仏教文化を将来し、会津地方の文化の発展にも大きく寄与しました。
昭和45年に国の史跡に指定され、貴重な文化遺産として保存・整備が行われています。

【徳一】
会津の象徴は磐梯山と猪苗代湖といわれています。
特に磐梯山は会津の人々の心の支えとして 古来より信仰の対象でしたが「病悩山」と呼ばれ魔物が住みつき、周辺の耕地や作物を荒らしまわっていたといわれていました。
この磐梯山が大同元年(806年)に大爆発を起こし、猪苗代湖ができたといわれています。
この大爆発で耕地は跡形もなくなり、住む家や食物を失った人々が道端に屍を晒していました。
この惨状を伝え聞いたのが奈良の都で高層の誉れ高い「徳一」という人でした。
「徳一」は人々の苦しみを救いその荒れる山を静め、仏教をひろめ仏の都を造ろうと決心し東路をくだり会津入りした。