【一日目】1月25日
福島駅東京行き東北新幹線00に乗り大宮駅で長野新幹線に乗り換え長野へ。
長野で約三時間の時間を取り、冬場の天気にしては風も無く汗ばむ陽気だったので、駅から歩いて善光寺さんにお参りする事に。
以前仕事の関係で何度も訪れていたが、善光寺通りを歩いて訪ねたのは今回が初めて。
善光寺 |
昼も過ぎていたのでお参りする前に、よく通った善光寺東之問にある信州蕎麦老舗【小菅亭】で久しぶりに『鴨南蛮』の味を堪能。↓
鴨南蛮 |
長野駅発000時の信越線で雪深い妙高高原を通り直江津へ、そこで乗り換え北陸本線で富山駅まで→予約をしていた【ドーミーイン富山】に。
【二日目】1月26日
以前から一度は行ってみたいと思っていた【五箇山合掌集落】へ。
朝から小雨で富山駅までホテルの無料バスで送ってもらい、世界遺産バスに乗り込み約一時間。
世界遺産バス |
到着時は激しい雪降りに。
駐車場を降りて集落入り口右側にひときわ大きな合掌作り【民宿勇助(屋号)】がある。
釘を使わず縄のみで堅牢に縛り、ピンとハネガイで強度の補強を補っています。
この合掌造り勇助(屋号)は、明治元年に建てられた家を明治の中頃に移築したものです。
建物も大きく、材質・工法ともに当時の技術と労働力がうかがえるこの地益特有の民家です。
一階のオエ(広間)はあらゆる生活の場、イロリに火が焚かれ、煮炊き・食事・団らん・接客の場。
そしてその暖気は、二階のアマ(屋根裏)へと広がり、アマは蚕を飼う大事な養蚕の場でもありました。
床下では塩硝を造り、ニワ(土間)では紙漉や蚕マユからの糸引きをしていました。
釘を使わず縄のみで堅牢に縛り、ピンとハネガイで強度の補強を補っています。
この合掌造り勇助(屋号)は、明治元年に建てられた家を明治の中頃に移築したものです。
建物も大きく、材質・工法ともに当時の技術と労働力がうかがえるこの地益特有の民家です。
一階のオエ(広間)はあらゆる生活の場、イロリに火が焚かれ、煮炊き・食事・団らん・接客の場。
そしてその暖気は、二階のアマ(屋根裏)へと広がり、アマは蚕を飼う大事な養蚕の場でもありました。
床下では塩硝を造り、ニワ(土間)では紙漉や蚕マユからの糸引きをしていました。
民宿【勇助】 今の相倉合掌集落の様子をこちらの【ライブカメラ】でご覧頂けます。 |
五箇山は古来より信仰に熱い地域で勇助の仏間や座敷も歴史を感じる大変立派なものでした。
【麦屋節】は五箇山民謡の代表でもあり、全国的に知られています。
歌詞のうたい出しが「麦や菜種は……」だったことから、「麦や節」と呼ばれるようになりました。
五箇山が平家の隠れ里であったことや、歌詞の内容から、麦や節と平家落人伝説を結びつけて伝承されてきたことがわかります。
かつて「平家にあらざるものは人にあらず」と豪語した自分たちの悲しい運命を唄に託してうたい踊ったそうです。
世界遺産バスにて城端駅へ出て、JR城端線のローカル列車で高岡駅へ。
JR城端線;城端駅 |
【三日目】1月27日
朝から快晴でホテルから歩いて富山駅に向かう途中、富山城址を散策。
富山城址 |
おいしい駅弁を頂きながらひたすら日本海を北上し、予約していた【ドーミーイン秋田】に投宿。
【四日目】1月28日
秋田新幹線で盛岡へ。
以前、妻と八甲田丸の就航時乗船した事を思い出し、気の向くまま盛岡から東北新幹線で新青森へ出て、そこから普通列車で青森駅へ行き【メモリアルシップ八甲田丸】に乗船。
メモリアルシップ八甲田丸 |
その帰りちょっと贅沢に鮪大トロ丼に舌鼓・・・・・・
素朴な盛りつけだったが結構美味! |
【あおもり・冬感動プロジェクト】の開催中のため、自衛隊員の方々が降りしきる雪の中雪像作りをされていました。
雪像作りをしていた隊員 |
木製のリンゴ箱で作られたドーム |
新しいブログ【ふくしま便り】を立ち上げ、福島地域情報を発信して参ります。