昨夜、高校時代の淡い思い出や、その頃クラスメートと過ごした夢を見た。
クラスは42人だったか? その中で5~6人のグループが複数出来ていて、何をするにもそのクループ毎での行動をしていた。
65年前(高校二年の春)土曜日の夜、宮城県々境の小学校講堂で移動映画会があり、地元の同級生他数人と見た後、地元の高校生数人と些細な事で乱闘となり、近所の交番のお巡りさんが駆けつて来たので、近くの同級生宅に逃げ込みその夜は皆で雑魚寝。
逃げ切ったと思っていたが、月曜日に登校したら既にバレていて担任から全員呼び出されお説教。
なぜバレたのかと顔を見合わせる。
仲間の一人が学生手帳を落とし、それを拾ったお巡りさんが学校に届け、その有様を説明していた様だ!
担任が一言、負けたのか? 勝ったのか?と聞いてきた。
全員口をそろえて勝ちましたと。
担任いわく、負けたら許せないが勝ったなら校長に頼んで許してもらうと。
結果何のおとがめなしで済んだ。
時は過ぎそのお巡りさんは妻の義兄(既に逝去)であったことを知る。
その騒ぎから間もなくして、担任の奥様は小学生の息子二人を残して天国に旅立ち、それでも気丈に立ち廻られ、クラス仲間の相談相手を惜しみなくしてくれた。
そしてその秋、誰が持ちかけたのか定かではないが、先生を慰める事も含め、残されたお子様二人も同行してもらい、クラスの遠足を企画し山形県【山寺 立石寺】へと。
当日、福島駅前に集合し予約していたバスを待つも時間になっても何故か来ない。
当時はスマホ等の文明の利器もない時代、近くに停車していた同じ交通の運転手に連絡をしてもらった所、担当者のミスで予約されていなかったとかで、急遽路線のボンネットバスにガイドさんでなく、女性車掌さんが乗ったまゝ約2時間遅れで到着し事なきを得た。
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下の子供二人が担任の子供、岩場下から3人目が担任の先生 |
急な階段・岩場を登り下りして楽しんだ後、帰りは仙台市内方面に廻り青葉城公園へ。
前記した様に自然と各グループ毎に散策中、仙台市内の女子高校生6人と出会い声をかけ(集団ナンパ?)互いの代表が住所の交換をして帰って数日後、全員の連絡先が揃った。
授業の合間にそれぞれの相手を阿弥陀くじで選びそれぞれ文通が始まる。
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大阪方面の修学旅行(右から4人目が私)
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私の相手は仙台市内の中心部にお住まいだった「HIROKO OOTAKA」さんになり卒業まで続いた。
その間、会ってみたいと云う事になり仙台駅で落ち合って映画館に。
その時の映画が【アラン・ドロン】主演、1960年フランス・イタリア犯罪映画【太陽がいっぱい】で内容も分からないまゝ時間が過ぎ帰宅。
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その数ヶ月後、地元福島で再上映された時見直してあらすじが分かる。
先日、その【アラン・ドロン氏】が8月18日、89歳の人生を閉じられた時もその事を思い出した。
その女性は何処かで元気に過ごされていらしゃる事と思いますし願ってもいます。
そして何事もなく優秀な仲間と一緒に卒業する事も出来、担任は私達が卒業と同時に校長として他校に赴任してからも、細々(こまごま)と相談に乗ってくれ、又その子供二人が東大に一発合格する度、目を細めていらっしゃいました。
退職されて間もなく癌に侵され、奥様の元に旅立れてしまいました。
あれから50年以上過ぎた今でも、鮮明に思い出せるのもその人柄で、出来るものなら私もそうでありたいと思う今日この頃です。