2025年12月7日日曜日

雪虫・初積雪・ミツバチの冬越し準備。

先日の小春日和に小雪が舞うように雪虫がとび廻っていて、手を翳(かざ)すと指にとまってくれました。

 その後12月4日、日本海側には大雪の報道もあり、当地にも約10cm程の初積雪がありました。
趣味で飼っているミツバチ達も、野々花々もすっかり枯れ果てて、花粉集めや蜜集めが出来なくなっています。

寒い冬を元気に過ごして貰うため、防寒対策と餌(蜂用手作りシロップ)付けです。

近年稲わらを確保するのが難しいが、ご近所の拘り稲作農家さんから毎年頂いて助かっています。
稲わらで三方を保温
購入した給餌容器には蜂が溺れないよう複数の突起がありますが、念の為稲わらを切って敷いてみました。

しかし難点は給餌流れ口の隙間が広く、そこから空になったタンクの中に入り込み、出れなくなってしまうので、テープで隙間を狭くした所改善されました。


来年の分蜂(巣別れ)時期(4月~7月)に備え金陵辺を室内に取り込み、花芽が出るのを待ちます。

ニホンミツバチは空の巣箱の近くに置いておくと、金陵辺花の匂いに誘われ偵察蜂5~6匹やって来て、その巣箱が気に入ってくれれば女王蜂や仲間を連れて来て入居してくれます。

西洋ミツバチは全く反応しません。

2025年12月3日水曜日

深浦町日本一の大銀杏

先日、テレビで青森県西津軽群深浦町北金沢の【日本一の大銀杏】が放映され、ライトアップの期間が11月30日までとの事で、28日(土)自宅を朝8時に出発し東北自動車道を青森へ。

そこから大間街道(国道101号線)JR五能線添いを通り、目的地の北金沢を通り越して千畳敷海岸で夕日を眺め、ライトアップ前の大銀杏へ戻る。
千畳敷海岸

ライトアップ前の「ビックイエロー」

幹回り22mの大木

時期が少し遅れたのと昨夜の強風で大分葉が散ってしまったとかでも、「ビックイエロー」樹齢1000年以上、高さ約31m、幹回り約22mの大木の葉は少し残っていて、その姿はさすが日本一。

大勢の見物客がライトアップの瞬間一斉に感動の声。


この時期にしては比較的気温も高く、寒さも感じず充分散策出来ました。

この近辺には希望のホテルもないので、予約をしておいた弘前市のホテルへ。

夕食はホテル近くの居酒屋で焼き肉のコースを堪能。


満腹の腹を押さえホテルに戻り、天然温泉で今日の疲れを癒やす。

30日(日)は、八戸へを抜けて海猫の繁殖地で知られる「蕪島」へ。
曇り空の「蕪島」

映像の中で皆さんが傘を差しているのは、海猫の糞を避けるため。

 太平洋沿いの国道45号線(自動車専用道路)を通り、南三陸予約の【ホテル観洋】到着。


早速、部屋窓際のベランダで海猫のお出向え。

新鮮な海の幸を頂き、広々とした天然温泉に浸かり就寝。

三日目の12月1日(月)は晴天に恵まれ、再び45号線を南下して松島へ。

遊覧船で松島湾をクルーズ。

のリ・牡蠣・わかめ等の養殖筏が張られた美しい湾内の様々な島々を、船内ガイドで案内してくれました。

中でも一番人気な仁王島は、先の大津波で少し修復(首の部分)されていたが、以前と殆ど変っていなかった。

今回の総走行距離は1126kmでした。

2025年11月25日火曜日

みかんの季節と歌い継がれる童謡

今年も残すところ僅かとなり、お店には所狭しとみかんが並んでいます。

我が家でも箱買い

当地、東北では平坦な土地にリンゴ・梨・桃等は何処へ行っても見る事が出来ますが、みかん畑は見ることが出来ないので、車で何度も静岡・四国・小豆島などみかんの本場に出かけて、海沿いの段々畑にたわわに実っているみかんを見、地元のみかん園さんから直接譲って頂いた事がありました。

秋の夜長を家族揃って炬燵を囲み、みかんを食べて過ごしたのが見慣れた風景で、時代も様変わりした今、それぞれの過ごし方になっていても、数々の童謡だけはこれからも歌い継がれて行く事でしょう。

この季節になると必ず思い出すのは、童謡【みかんの花咲く丘】で、子供の頃意味も分からず口ずさんでいた童謡の一つです。

先日、その歌詞がどんな状況で生まれたのか、作詞家の【加藤省吾】の生涯をテレビで報じられていました。

特にその状況を感じさせられるのが三番の歌詞。      

       いつか来た丘 あさんと
         一緒に眺めた あの島よ
           今日もひとりで 見ていると
             やさしい母さん 思われる

1942年7月11日、愛知県名古屋市で生まれ、幼少期に父親の経営する事業の失敗により離散。

静岡の海沿いのみかん畑で母親と海を眺めたのが、心の底に残っていたのが題材と聞く。

この童謡のみならず多くの作詞家は楽しかった事、辛かったこと、悲しかった事を題材とし、それに曲を付けた作曲家とのコラボが長く歌い続けられて来たのですね。

こちらの童謡【赤とんぼ】もその一つ。

作詞家は【三木露風】(みきろふう1889年生まれ)
兵庫県、現在のたつの市に、父・三木節次郎の長男として生まれ、5歳の時に両親が離婚し、母方の祖父母に引き取られて育てられる。

歌詞の意味
①夕焼け小焼の赤とんぼ 負われて見たのはいつの日かは。
 負われて見たとは ⇒ 幼い頃、祖父母に雇われていた子守娘におんぶされて、赤とんぼをみた
 のは何時だったのだろうか。

②山の畑の桑の実を 小籠に摘んだはまぼろしか。
 山の畑で桑の実を摘んだ幼い頃の思い出は「まぼろしだったのか」

③十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた。
 「ねいや」とは、三木露風の幼少期に子守として働いていた少女のことで、その彼女が十五で
  • 嫁に行き、彼女からの連絡が途絶えてしまった。
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先。
 赤とんぼが竿の先に止まっている様子で、大人になった露風が赤とんぼを見て、幼い頃
 のい出に浸っている情景とされている。

この童謡、あなたはどんな情景が見えて来るでしょうか?

これは戦争で離れ離れになった家族が、南方から帰還する父親の無事を祈る母子の様(さま)

歳を重ねるとあの時、優しい女先生が弾くオルガンの伴奏で、クラス仲間とツバメが餌をねだるが如く、大きな口を開けて歌った想い出が、無性に蘇って来るのは私だけでしょうか?

2025年11月7日金曜日

紅葉狩り

今年の紅葉狩りは8月の中頃から体調を壊し、カテーテルの検査入院から始まり、白内障で両目の手術。

9月中にはマイコプラズマ肺炎らしき風邪で、激しい咳と高熱に見舞われ、体重も6kgも減り、寝たり起きたりの生活が長引き、漸く10月末頃に落ち着いたと思ったら身内の不幸。

月が変って11月初め仕事を兼ねて気晴らしに吾妻スカイラインを通り、裏磐梯・そして会津若松へ。

例年10月中過ぎ頃が紅葉の見頃なのが、そんな事情で遅めの紅葉を求め出かけた。

三連休の初日でも観光客が少なめだったが、雨上がりで立木の幹も黒ずんでいてカエデやモミジが一層鮮やか。

裏磐梯五色沼には沢山の人達が終わりに近い紅葉を求めて来た人、紺碧色の沼に手こぎボートで小春日和を満喫されている多くのカップル 。
五色沼

五色沼


出店も今年最後のかきいれ時と、力が入っていたようだった。

翌日、連休最後の3日は朝から雨に。

今度は4日その日も仕事関係で山形県蔵王町に。

【蔵王チーズシェッド】で空き席待ちの客が多くも、雨上がりの眩しい日差しのテラスで順番を待ち、お気に入りの手作りハンバーグを頂き満足。

隣のチーズ工場で買い物を終え、蔵王エコーラインへと足を伸ばし、こちらも終わりに近い紅葉を愛でながら、頂上近くまで走ったが冬期閉鎖で山形市内方面に抜ける事が出来ず、宮城県最南西部に位置する【七ヶ宿】方面へ。

ここは江戸時代に奥州と羽州(山形県・秋田県)を結ぶ道が「山中七ヶ宿街道」と称され、7つの宿場があったことが町名の由来となり、今でもその名残が古(いにしえ)の雰囲気が漂い、冬はスキーへ出かけ大好きな宿場町の一つです。

そして当地、町中大通のハナミズキの街路樹も見頃に。

近くを流れる松川堤防の桜の大木も遠くに初冠雪があった吾妻連峰を背に、赤く色づいた葉が散り始めています。

何時もの通り筋の紅葉も。
後方の山は信夫山・高架は東北新幹線

冷え込みは日毎に増し、今年薪ストーブの初炊きです。





2025年10月20日月曜日

マイコプラズマ肺炎。

今、インフルエンザ・新型コロナが流行している中、晩秋から冬にかけて表題の【マイコプラズマ肺炎】が勢いを増しています。

私も10月11日から風邪のような症状が出て、その夜から咳が出始め14日・15日には私としては今迄に経験したことのない38.6℃の高熱に悩まされ、食欲もなくなり体重も6㎏も減り何かに伝わらないと歩けない程に。

16日・17日迄は何とか我慢をしていたが、18日我慢仕切れずに主治医を訪れ車内診察。

インフルインザ・コロナは陰性と判明。

院内に移され血液採取・胸部レントゲン撮影等を済ませ結果は【マイコプラズマ肺炎】?。

21日のゴルフ・23日同じグループ恒例のローカル列車で行く、山形県峠駅前【峠の茶屋江川】でのキノコを食べる会もやむなく欠席。


マイコプラズマ肺炎とは
・「肺炎マイコプラズマ」という微生物の感染して起こる肺炎の事。
・肺炎というと高齢者の病気というイメージだが、以外と若年層等の健康な人にも晩秋から冬 
 に患者が増えるという。
・症状はしつこい咳が特徴で、発熱や倦怠感・頭痛・のどの痛みなど、風邪に似た症状。
・多くの人は肺炎に至る前の気管支炎で回復するが、肺炎を起こした人の中には、肺機低下を 
 来す事もある。

良く手洗いをしましょう。


2025年10月11日土曜日

秋祭り

1000年の歴史のある福島市【福島稲荷神社】の秋の大祭は、今日11日から始まり、初日は雨の中神社の本殿で五穀豊穣・商売繁盛などを祈る行われました。

本来この秋の大祭は毎年9日から11日まで行われていたが、近年は連休に会わせるようになり、今年は11日から13日まで開かれ、12日には神輿や連山車(れんだし)が市内を練り歩きます。

境内や通行規制がされた道添には沢山の出店が並び、多くの家族ずれが訪れます。

この大祭は雨に見舞われると云うジンクスがあり、今年も雨となってしまいました。

子供が小さい頃は朝からせがまれ、雨の中を出かけたものですが、今は大祭のあることすら忘れている始末です。

福島稲荷神社
第66代一条天皇の永延元年、当時朝廷に重用された陰陽道博士、安部清明が詔(みことのり)を奉じて奥州下向の際、吹島の里(後に福島)さしかかり、西には吾妻山が空にそびえ、北には信夫山が平原の中より屹然(きつぜん)として突出し、南には阿武隈川の清流洋々として東流し、山水の風致、自然の景勝に目を見張るのみならず、地味肥沃にして農耕に適し、将来大いに有望な地相であるとしてここに社を建て、衣食住を司る豊受比売大神(伊勢神宮の外宮の御際神)を勧請し、此の里の総鎮守としたことに始まりと云う。
         -福島稲荷神社公式ホームページより-

さて、同地(福島市)今日の最低気温が15℃・日中の気温が17℃と雨模様も重なり、急に暖房が必要な感じとなってしまいました。

昨日、終わりに近いダリアを切り取り、部屋中に飾り季節の変わり気味を感じています。





2025年10月2日木曜日

10月2日、菜園の様子

 明日10月3日は二十四節季・七十二項では、この日(10月3日~7日は「水始涸(みずはじめてかるる)」になり、田んぼから水を抜き稲刈のシーズンです。

既に稲刈りが終わっている所もあり、これから稲刈りをする田んぼは既に水も抜かれ、たわわに実った稲穂は秋風に揺られ、その上を赤とんぼが飛び回っています。

そして我が菜園の様子。

趣味の菜園も冬野菜の定植も終わり、元気に育っています。
白菜

カリフラワー

花コーナーでは葉が白色綿毛を密生させている特徴の「シロタエヒマワリ」が秋空に美しく咲き誇っています。
シロタエヒマワリ

その近くに終わりに近づいたダリヤも負けじと咲かせています。


イチジクは防鳥ネットは使わず小鳥たちと共有で、熟した実は早いもの勝ちです。
見事に綺麗に食べています。

又、蜜蜂も元気に飛び回って、間もなく採密の時期です。

一昨年に植え付けた「パンパスグラス」も3m程の丈に伸び、30本ほどの穂を付けてくれ知人に差し上げたり、持ち帰って家中に飾っています。


外に出て背伸びをすると、今までの暑さが嘘のように爽やかさを感じ、何処からとなくキンモクセイノの匂いが漂い、本当の秋到来のこの頃です。

春夏秋冬の移り気なが春無し・秋無しの夏冬になってしまうのではと?

2025年9月21日日曜日

立派に老人化。

男女問わず他人の姿を見て大凡の(おうよそ)の年齢が想像出来るのは私だけではないと思います。

自分の姿は鏡に映さないと見ることは出来ず、年相応の体型に気づいても未だ若いと判断してみるも、老人特有の不具合が出始め病院通い。

待合室でご家族付き添いで順番を待つ人などの人間ウオッチングをして、自分の姿に置き換えて勝手に判断してみる。

私も82歳を過ぎ立派な老人化となり病種も年々増え、とうとう来るべき病の到来です。

それは大好きなゴルフを楽しみに続けていても、飛びの少なくなったボールでも見えなくなり始めその楽しみも半減。

白内障である。

持病で通っている先生に近くの眼科医を紹介して頂き、検査の結果老人性白内障と診断され、9月12日に左目の手術。

その一週間後の19日に右目。

手術前、何人かの経験者に聞きあたり、痛くもなく結果は凄く見えるようになったとか。

目の手術には特別な不安もあり、痛くはないと云う事であったがガマンの出来ない程の痛さではなかったが緊張しきり。

術後、眼帯の取れるまでは運転や重い物を持つことは禁止。

約一週間は洗顔・洗髪を避け、お風呂は肩までと制限され、複数の目薬は2ヶ月ほど続ける事と云う。

2025年7月8日火曜日

嬉しい一言

今年は7月を待たずして梅雨が明け、連日35℃前後の猛暑日が続き、熱中症による搬送の救急車のサイレンが毎日鳴り響いています。

住まい近くにある誰もが知るパン屋さん【たけだパン】へ週に一度、食パン他・菓子パン・中でも超人気のサラダパンを買いに。

超人気のサラダパン

今日も車から降りると目眩がするほどの暑さの中何時ものように。

若い女性の店員さんが焼き上がった食パンを希望の厚さに切り終え、単品のパンと持参した紙袋に丁寧に入れてくれ、会計を済ませて手渡して「ありがとうございました」と。

その後の言葉が《今日も暑いのでお気を付けてお帰り下さい》と。

心の底から出た涼しげな一言を頂き、今日の暑さを乗り越えられる得した一日になるような気持ちでした。

     ありがとうございました。