2025年10月11日土曜日

秋祭り

1000年の歴史のある福島市【福島稲荷神社】の秋の大祭は、今日11日から始まり、初日は雨の中神社の本殿で五穀豊穣・商売繁盛などを祈る行われました。

本来この秋の大祭は毎年9日から11日まで行われていたが、近年は連休に会わせるようになり、今年は11日から13日まで開かれ、12日には神輿や連山車(れんだし)が市内を練り歩きます。

境内や通行規制がされた道添には沢山の出店が並び、多くの家族ずれが訪れます。

この大祭は雨に見舞われると云うジンクスがあり、今年も雨となってしまいました。

子供が小さい頃は朝からせがまれ、雨の中を出かけたものですが、今は大祭のあることすら忘れている始末です。

福島稲荷神社
第66代一条天皇の永延元年、当時朝廷に重用された陰陽道博士、安部清明が詔(みことのり)を奉じて奥州下向の際、吹島の里(後に福島)さしかかり、西には吾妻山が空にそびえ、北には信夫山が平原の中より屹然(きつぜん)として突出し、南には阿武隈川の清流洋々として東流し、山水の風致、自然の景勝に目を見張るのみならず、地味肥沃にして農耕に適し、将来大いに有望な地相であるとしてここに社を建て、衣食住を司る豊受比売大神(伊勢神宮の外宮の御際神)を勧請し、此の里の総鎮守としたことに始まりと云う。
         -福島稲荷神社公式ホームページより-

さて、同地(福島市)今日の最低気温が15℃・日中の気温が17℃と雨模様も重なり、急に暖房が必要な感じとなってしまいました。

昨日、終わりに近いダリアを切り取り、部屋中に飾り季節の変わり気味を感じています。





2025年10月2日木曜日

10月2日、菜園の様子

 明日10月3日は二十四節季・七十二項では、この日(10月3日~7日は「水始涸(みずはじめてかるる)」になり、田んぼから水を抜き稲刈のシーズンです。

既に稲刈りが終わっている所もあり、これから稲刈りをする田んぼは既に水も抜かれ、たわわに実った稲穂は秋風に揺られ、その上を赤とんぼが飛び回っています。

そして我が菜園の様子。

趣味の菜園も冬野菜の定植も終わり、元気に育っています。
白菜

カリフラワー

花コーナーでは葉が白色綿毛を密生させている特徴の「シロタエヒマワリ」が秋空に美しく咲き誇っています。
シロタエヒマワリ

その近くに終わりに近づいたダリヤも負けじと咲かせています。


イチジクは防鳥ネットは使わず小鳥たちと共有で、熟した実は早いもの勝ちです。
見事に綺麗に食べています。

又、蜜蜂も元気に飛び回って、間もなく採密の時期です。

一昨年に植え付けた「パンパスグラス」も3m程の丈に伸び、30本ほどの穂を付けてくれ知人に差し上げたり、持ち帰って家中に飾っています。


外に出て背伸びをすると、今までの暑さが嘘のように爽やかさを感じ、何処からとなくキンモクセイノの匂いが漂い、本当の秋到来のこの頃です。

春夏秋冬の移り気なが春無し・秋無しの夏冬になってしまうのではと?

2025年9月21日日曜日

立派に老人化。

男女問わず他人の姿を見て大凡の(おうよそ)の年齢が想像出来るのは私だけではないと思います。

自分の姿は鏡に映さないと見ることは出来ず、年相応の体型に気づいても未だ若いと判断してみるも、老人特有の不具合が出始め病院通い。

待合室でご家族付き添いで順番を待つ人などの人間ウオッチングをして、自分の姿に置き換えて勝手に判断してみる。

私も82歳を過ぎ立派な老人化となり病種も年々増え、とうとう来るべき病の到来です。

それは大好きなゴルフを楽しみに続けていても、飛びの少なくなったボールでも見えなくなり始めその楽しみも半減。

白内障である。

持病で通っている先生に近くの眼科医を紹介して頂き、検査の結果老人性白内障と診断され、9月12日に左目の手術。

その一週間後の19日に右目。

手術前、何人かの経験者に聞きあたり、痛くもなく結果は凄く見えるようになったとか。

目の手術には特別な不安もあり、痛くはないと云う事であったがガマンの出来ない程の痛さではなかったが緊張しきり。

術後、眼帯の取れるまでは運転や重い物を持つことは禁止。

約一週間は洗顔・洗髪を避け、お風呂は肩までと制限され、複数の目薬は2ヶ月ほど続ける事と云う。

2025年7月8日火曜日

嬉しい一言

今年は7月を待たずして梅雨が明け、連日35℃前後の猛暑日が続き、熱中症による搬送の救急車のサイレンが毎日鳴り響いています。

住まい近くにある誰もが知るパン屋さん【たけだパン】へ週に一度、食パン他・菓子パン・中でも超人気のサラダパンを買いに。

超人気のサラダパン

今日も車から降りると目眩がするほどの暑さの中何時ものように。

若い女性の店員さんが焼き上がった食パンを希望の厚さに切り終え、単品のパンと持参した紙袋に丁寧に入れてくれ、会計を済ませて手渡して「ありがとうございました」と。

その後の言葉が《今日も暑いのでお気を付けてお帰り下さい》と。

心の底から出た涼しげな一言を頂き、今日の暑さを乗り越えられる得した一日になるような気持ちでした。

     ありがとうございました。


2025年6月29日日曜日

大人の休日倶楽部パス

25年度、第一回 が6月23日(月)~7月5日(土)までの利用期間で、それを利用して6月24日(火)~28日(土)までの5日間、北海道の旅に。

一日目(24日)
東北新幹線で仙台駅に向かい、そこで乗り換えて新函館北斗駅 → 札幌駅 → 旭川駅へ。

旭川駅を降りると駅前広場に大きなテントが張られ、牡蠣・ホタテ等、海産物の炭火焼きがあり、大勢の行列が出来ていた。

夕食の予約はしていなかったので、その行列に加わり夕食を済ませホテルに。

二日目(25日)
予約をしておいた旭川駅前のレンターで、【旭山動物園】に。

園内は35℃前後の暑さに動物達も動きが鈍く、暑さに耐えていた。
ホッキョクグマも暑さに参っている様子

虎も

あまりの暑さに早々と富良野【ファーム富田】に。

ラベンダーは少し早かったがサルビアやオレンジ・黄色のマリーゴールドが綺麗でした。

国道237号を通り富良野市内へ出て、今夜の宿泊地【新富良野プリンスホテル】へ。

駐車場に車を停めて、ドラマ【優しい時間】のロケ地【森の時計】へ。

ここには3回程訪れた事があったが今回も。





美味しいコヒーセットを頂き、借りた車の乗り捨て(返却)場所の富良野駅前へ。

富良野駅からタクシーでホテルに戻る。
新富良野プリンスホテル

三日目(26日)
ホテル・富良野駅経由旭川駅の路線バスで富良野駅へ。

富良野駅から根室本線のローカル列車で滝川→岩見沢→苫小牧→洞爺湖駅へ。

タクシーで洞爺湖温泉【グランドホテルトーヤ】

洞爺湖では毎日夜、湖上の船から花火が打ち上げられ、観光客を喜ばせてくれるが疲れて眠ってしまいました。

翌朝窓から美しい湖畔を見ることが出来ました。


四日目(27日)
洞爺湖駅から特急北斗6号で新函館北斗駅へ出て、八戸→久慈へ。

車窓から美しいリアス海岸を眺めながら宮古駅へ。

予定の18:00頃、予約のホテルへ。

五日目(28日)
宮古駅から山田線で盛岡に抜けようとしたが、急遽代行バスに変更して約2時間後盛岡駅到着。

盛岡駅から東北新幹線で帰宅。

2025年5月28日水曜日

タマネギの収穫

昨年晩秋に植え付けたタマネギは茎が倒れ始め、収穫期を迎えました。

今年は例年になく大きく育ち、昨年より豊作でした。

 

収穫したタマネギを5個単位で束ね、薪ストーブ用薪小屋の庇(ひさし)に吊し保存。

収穫当日、知人にお裾分けしたところ、早速調理して頂いたと写真付のLINEが届きました。

間もなくジャガイモの収穫期を迎えます。

隣接する花畑では水仙・チューリップも葉を枯らし、今は球根の熟成期に入っています。

そんな中【キガンジューム】は小さな紫色のぼんぼりが膨らみ始めました。
その奥に矢車草が満開


4本の梅の木には枝が折れる程実を付けています。


我が家の庭には【カルミヤ(アメリカ シャクナゲ)】やペチュニアの寄せ植えが満開です。


2025年5月17日土曜日

就職列車

【就職列車(集団就職列車)】をあなたは知っていますか ?

就職列車とは、かって盛んに行われた集団就職で都会に出る若者を運んだ列車で、そんな集団就職の最初の事例となったのは、昭和10年3月に凶作に見舞われた東北地方の救済策として秋田県で実施されたものとされています。

高度成長期の昭和31年頃から46年頃まで盛んに、中学校を卒業したばかりの「金の卵」と称された、若者達が青森や熊本から親元を離れ、主に大阪・東京へと集団で就職先に向かう専用列車でした。

ホームには見送りの親や親戚の皆さんが集まり、我が子との別れに涙ぐみながら手を振り、車内の子供達はハンカチを手に泣き崩れる姿。


当時は新幹線もなく熊本から大阪まで18時間、そこから更に東京までは数時間と一日がかり。

その時の映像を見る度、胸が詰まってしまいます。

私はその最盛期の昭和34年中学卒業でしたが、農家の長男坊で農家の働き手の一人としてその集団就職には加わる事はありませんでした。

就職が決まった同級生は不安と希望を秘めた笑顔が、今、思い出しても涙くんでしまいます。

中には受け入れ先の厳しさに耐えきれず、自ら命を絶つ者やその厳しさに耐え成功を手にした人と様々。

そんな中の昭和39年5月に発表された【あゝ上野駅】が空前のヒット曲となりました。

        二番目の歌詞
          就職列車に ゆられて着いた
           遠いあの夜を 思い出す
            上野は俺らの 心の駅だ
             配達帰りの 自転車を
            とめて聞いてる 国なまり

この曲でどんなに励まされ、勇気づけられた事だったでしょう。

作詞家の関口義明氏は、上野駅で見かけた集団就職の少年達を題材に書き、農家向けの家庭雑誌【家の光】の懸賞に応募して1位の入選を果たし、発売当初は途中の台詞は吹き込まれていなかったが、井沢八郎氏がテレビの番組に出演中、父が亡くなった事を知らされ、間奏の途中にアドリブで入れちゃった台詞が反響を呼んだため、後に台詞入りのバージョンをレコーディングして改めて発売したという。

食道癌で失った父を受け継いで、今は娘の【工藤夕貴】さんが守り続けておられます。

因みにカラオケ大好きな方はご存じだと思いますが、数年前までは歌詞本の1ページの一番目に載っていましたが、今は新しい曲が続々出ており表示が変わっているようです。

集団就職を経験された方々は今、70才から80才位になっておられるでしょうか。

その方々のご苦労が、今の日本の石随となっていると言っても過言ではありませんね。


2025年5月6日火曜日

ニホン ミツバチの分蜂(巣別れ)

春先の分蜂に備えて準備していた物。

・ ネットで購入して少し手直しをした捕獲用タモ。
・ 約60cm高さの植木鉢用スチール製台
・渋うちわ。(蜂球の根元に差し込んでタモに落とします)

壊れた高枝切狭を改造して高所捕獲用に

手前の紐を引くと閉じて、取り込んだ蜂を封じ込めます。

そこに挟まった蜂は圧死してしまいますが仕方がありません。

以前紹介した趣味の菜園に設置していた、ニホンミツバチの巣箱に昨年7月3日自然入居。

厳しい冬の寒さを乗り越えて、第一回目の分蜂(巣別れ)が今年4月30日に、その近くに待ち受け箱を設置していた屋根裏に蜂球。

そして僅か数日後、西風の強い5月3日今度は近くのアカシアの枝(2.5mの高さに)に蜂球。

動画の中の5月30日は、4月30日の誤りです。

捕獲用タモに取り込んだ蜂達を、植木鉢台に通してその上に空の巣箱を乗せ、暗いところに登っていく蜂の習性を利用して取り込み、外してある底箱に重ねて完了です。

外に漏れた蜂たちは、女王蜂の出すフェロモンに誘われ巣門から次々と入っていきます。