2022年4月21日木曜日

祝い開店

 昨年5月店主が突然急逝し、約一年間閉店していた喫茶【いちょう並木】前店主の妹さんが引き継ぎ4月15日開店しました。

此処は毎日必ず通る県立美術館・図書館正面道路で、春は欅・銀杏の新緑、秋は紅葉・冬は雪化粧がとても綺麗な一角にあり、私のお気に入りの場所です。


4月21日、欅・銀杏の芽吹きです。


その通りに面して喫茶【いちょう並木】があります。(21日は定休日でした)


5年前から廃止していた軽食も提供する事になり、近くの県立美術館を訪れた方々の憩いの場所になる事でしょう。

ゴルフ・大型バイクをこよなく愛していた元店主も含め、私達ゴルフ仲間が集いゴルフ談義や歳を重ねてきた人生論の場として利用していたが、突然の悲報に一同驚きと淋しさを感じていました。
在りし日の元店主

開店にあたり有志で記念品を贈呈し、ある日の元店主との想い出を語り、美味しいコーヒーを頂きがらゴルフ談義にまた花を咲かせる事が出来そうです。
22日記念品の空気清浄器贈呈

奇しくも今日4月22日は、元店主と現店主のお父さんの命日だったとか。

さぞかし天国でこの様子を親子で見ていてくれた事でしょう。
旅立たれた向かって左元店主の江川一郎さん、右がそのお父さん

皆さん近くを通りの節は是非お立ち寄りください。

2022年3月20日日曜日

震度6強地震

16日福島県沖でPM11:36震度6強の地震発生。

幸いに大きな津波はなかったものの、その後、余震が続き不安な夜を過ごす。

今回の地震は長く揺れ続け、しかも二度・三度と同じような揺れがあり、家中の棚・冷倉庫等全てが移動または倒れ、辺り一面散らばり足に踏み場もない状態。
冷蔵庫・台所用品も散乱

重たい本棚も倒れ壁に穴が。


壁に穴

洗面所
仕事場(事務所)も手の付けようない状態。

パソコン・プリンターも吹っ飛び
とりあえず元に戻して

今回は新幹線の脱線、高速道路の亀裂等で今までにない被害が続出し、県内での死亡者も出てしまいました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

県内の一部で断水などの被害も報じられました。





2022年3月15日火曜日

神奈川県松田町【河津桜】

当地もようやく雪解けが進み、小さな薄紫のイヌフグリが咲き始めました。

TVでは各地の桜の様子が放映され、ここ松田町の【河津桜】も連日放映されていて、春を探しに12日(土)13日(日)の両日出かけて来ました。

自宅を朝7時に出発し、途中休憩を挟んで昼過ぎ到着。

駐車場は相模川の河川敷が臨時の駐車場で、そこからシャトルバスで現地桜祭り会場に。
相模川河川敷

土・日曜日とあって多くの人出でした。
急な坂を登り切った所の個人のミカン畑と河津桜が植えられて、菜の花と桜が咲き乱れ菜の花の香りが一面漂っていて正に春を身体で感じることが出来ました。

撮り置き写真を【桜坂】の曲にのせて纏めて見ました。

今夜は伊勢原市に泊まり明日栃木県【あしかがフラワーパーク】へ。

二日目(3月13日)
昼過ぎ目的地の【あしかがフラワーパーク】に到着。
パーク正面入り口

本格的なシーズンには未だ早いが日曜日とあって大勢の人出でした。


軽い食事を終え、第二の目的地、長野【善光寺】へ。
山門

本堂

右端のお地蔵さんの足が飛び出ています。
六地蔵

六地蔵とは
人は今世の滅後に六道のいずれかに転生すると考えられています。
六道とは天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つで、六地蔵様お一人おひとり担当する世界が決まっているとされ、善光寺の六地蔵様の向かって右側のお地蔵様は別名大定知悲地蔵菩薩で、担当されるのは地獄で、地獄に転生する者は人としての道から足を踏み外しており、その地獄を担当されるお地蔵様もそれを表すために足を外して座っています。

その隣に大きめの濡れ仏が鎮座しています。
濡れ仏

濡れ仏
江戸の大火を出した八百屋お七の冥福を祈って、吉三郎が建てたという伝説もあって有名な延命地蔵です。

八百屋お七
本郷の八百屋の娘お七は、天和2年(1682年)の火事で避難した吉祥寺の寺で、寺小姓の吉三郎と出会い一目惚で恋に落ちてしまいます。お七はどうしても吉三郎を忘れる事が出来ず、一途な思いは「もう一度火事があれば会えるかも知れない」と言う恐ろしい考えに思いに至り、ついに放火してしまう。放火の罪で捕まったお七は、鈴が森で火刑になってしまいます。

長野の郷土菓子(料理?)で有名な【おやき】を頂き夕方6時頃、新潟径由会津若松を通り帰宅。
走行距離1232㎞

2022年3月10日木曜日

浅間山荘事件と初めての長野県入り

先日、浅間山荘事件発生から50年が過ぎた事をテレビで報じられていた。

当時28歳の私は初めて長野県を訪れる途中の出来事でした。

1972年(昭和47年)2月19日昼頃に前橋・高崎で仕事を終え、車で国道18号線の碓氷峠を通って長野市に向かう途中、軽井沢駅の手前で車を止められ何が何だか分からなかったが、警察車両・消防車・救急車、上空ではヘリが旋回し、物々しい状況でした。

2月の寒い時期、停止されて約6時間の間、車内の積みには全部出され、ボディーチェックを受けて、ようやくおおよその事態が分かった。
当時乗っていた日産チェリースポーツ(この色)

通行が解除されたのがすっかり暗くなり、当時携帯もなく長野市に初めて入って宿探しに四苦八苦。

ようやく見つけた宿は善光寺さん麓の食事は提供していない連れ込み宿【喜楽荘】。

駐車場は通りの面して一台のみ、年の頃は60代のご夫婦で自家食材で作って頂いた夕食は何か特別なおもてなしを感じた事を思い出します。

その宿に三日滞在し長野を外れ新潟へ。

以前から新潟では取引先があり同じく三日程過ごし、高速道路もない国道49号線の山道を通って自宅についても未だその事件の中継が続いたいた。
河合楽器製作所保養所

新潟・長野には約20年通い続け、新潟の取引先の方は10年前に逝去され、娘さんが引き継ぎ現在もお付き合いさせて頂いておりますが、長野の方は12年前に逝去され、後継者もなく廃業されています。

因みに新潟・長野での宿(旅館)は20年間変えた事はありませんでした。


2022年3月1日火曜日

卒業式

 何時もの朝、何気なしに車で走っていると、40代前後の男性・女性が着飾った礼服にブーケを付けて、同じ方向に向かって大勢歩いていた。

その先は県立工業高校の卒業式会場だった。

梅の花も咲き始め、春の兆しが漂いつつある暖かい日の卒業式、多くの若者達が社会人・大学と新たな生活に巣立って行くのに素晴らしい一日になりそう。

人をあまり怖がらない鶺鴒(セキレイ)も忙しく動きまわり出し始めました。


昔は卒業式で【君が代は】【蛍の光】【仰げば尊し】は卒業ソングの定番であったが、今ではそれも変わって歌わなくなったようで、私達の年令には淋しさも感じてられます。

歌わなくなった理由には、歌詞の意味が理解出来ない、今の時代にそぐわない等とかだそうですね。

【蛍の光】を下級生が【仰げば尊し】を卒業生が歌い出せば自然と涙が流れ出す様は、今はどうなのでしょうか?

【仰げば尊し】昔懐かしいオルガンの演奏曲をYouTubeで見つけました。

その歌詞の意味は!

        1.仰ぎ見るほどの尊い 恩師のへのご恩

          学校の教訓を学んで もう何年も経った

          思い返すと 学校生活の時が経つのがとてもはやかった

          今まさに別れよう さようなら


        2.互いに仲良く過ごした友へのご恩

          卒業した後も これらの思い出を忘れないで過ごして

          自立し 世に認められ 励みなさい

          今まさに別れよう さようなら


        3.朝から夕方まで 学び続けた学校

          蛍の明るさや 積もった雪の光りを頼りに勉強した

          忘れることなんてない 過ぎさった日々

          今まさに別れよう さようなら

 

2022年2月26日土曜日

新兵器発見???

 我が家は北向きの住宅地にあるため、冬場の降雪が車で圧雪されて凍結してしまった市道は、中々溶けず凄く危険でした。

以前からアルミのスコップや つるはし等で砕いていたが思ったように粉砕出来ず困っていた所、シーズンが終わりに近づいた昨日、優れものがあることが分かり早速注文してみました。

【割るぞうくん】

春が目の前でも凍り付いたまゝ残っていたので早速使ってみまた所、簡単にしかも楽に粉砕する事が出来ました。

来年は充分威力を発揮してくれるでしょう!

(有)吉田研磨工業さんの動画・画像を使わせて頂きました。

割るぞうくん

2022年2月24日木曜日

雪は残れど春の兆し

今年は何と雪の多い事。

21日から22日にかけて又大雪。

今冬、こんな大雪続きになるとは予想もせず、軽トラックの冬タイヤは履き潰すつもりでギリギリまで耐えて来たが、耐えきれず雪を積んだまま昨日急遽新品冬タイヤに交換。

急遽タイヤ交換

車庫前は雪で車の出入りも出来ないので、その雪を軽トラに積んで3回、畑へ運び投雪。

朝一番で雪かきするも又積もる

畑に投雪

昨年晩秋に切り落とした柿の木にも。
巨大アート?

狭い庭のテラスも雪にスッポリ埋もれています。
テラス

何時も通る美術館通りも雪は残れど、日が差し込んでようやく春の気配。
春を感じる美術館通り

予報では今日あたりから気温も上がり、待ちに待った春の到来か? 

2022年2月11日金曜日

茶室 【麟閣】

9日、会津若松へ仕事関係の告別式(10:00)に出向き、終了後雪の鶴ヶ城を同行した方と散策。

会津若松 鶴ヶ城

今まで何度も訪れてはいたが今回、歴史的重要な福島県指定重要文化財【茶室 麟閣】に入ってみる。

少庵ゆかりの茶室 麟閣


茶室 にじり口

本来なら苔むす庭園を眺めながら頂く抹茶ですが、豪雪地帯のこの時期故ストーブで温められた小屋で抹茶と薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)を頂く。

抹茶と薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)

そしてこの茶屋はかの有名な【千利休】との関係がある事にも気づく。

ご承知の通り千利休は、豊臣秀吉に切腹を命じられ70歳でこの世を去る。

豊臣秀吉と千利休

秀吉はあらゆる頂点に立ち、出来ないことはないと考える天下人で、唯一嫌い嫉妬の対象としていたのが千利休で、質素で完璧な美学で無駄な装飾を極限まで削ぎ落とし、たどり着いた美の境地に秀吉は許せなかった様で、そんな理不尽な理由を付けて切腹を命じたのですが、実際には切腹をしてほしい訳ではなかったようです。一言謝罪の言葉を述べるだけで許されたとも言われたが、 千利休は自身が秀吉に謝る理由はないと断り、妻に見守られながら切腹をしたのでした。

天正19年2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、蒲生氏郷(がもううじまさ)は利休の茶道が絶えるのを惜しんで利休の子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけるのです。

切腹に値しない千利休の罪

切腹を命じられた千利休ですが、公的に「天下人の嫉妬」という名目で切腹を命じることは出来ず、そこで、秀吉の部下で石田三成は二つの罪を挙げることで、切腹の命令を執行しようと試みたとされています。

1,大徳寺山門の金毛閣に建てられた千利休の木像が不敬であったこと。

2,茶道具を法外な高価で売り、売僧と成り果てていたこと。

この二つは秀吉の嫉妬と誤解でもあったのです。

一つ目のは金毛閣に建てられた千利休の木像は本人が建てた物ではなく、実際は応仁の乱で焼けた寺の再建のために千利休は多額の寄付をしていて、寺がその功を顕彰するために建てたのが千利休の木像だったのです。また千利休が考案した茶室の「にじり口」は、武士も商人も誰もが身分差がなく頭を下げて入る事で茶室では皆が平等を意味していたのです。そして狭くて刀を差したまゝ入れない事にも秀吉は怒りを感じていたようです。

二つ目は千利休には類稀な美的感覚があり、その目利きを選んだ骨董品は誰が見ても分かる確かな物で、市場では価格が上がり茶の湯に憧れを抱く商人達が買い求め、転売に転売を重ね価格が一気に上昇するのです。そして千利休が大切にしていた香合には、秀吉自身が小判千枚の価値をつけて交渉したとも言われています。

香合とは、茶事において茶室に香を焚く時の器。


2022年2月7日月曜日

立春

節分が終わり、2月4日は24節気の「立春」でした。

昔は、立春、立夏、立秋、立冬、の前日に当たる日を、それぞれ「季節の分かれ日」として、「節分」は年4回あったそうですが、春の始まりが一年の始まりとされていた「立春」の前の節分が現在も残っているそうです。

まだまだ寒い日が続いて、春の訪れが待ち遠しい日々ですが、節分草も咲き始め、様々な春の花たちもやがて花ひらく準備を始めているようです。

節分草
節分の頃に花を咲かせるので節分草と呼び、日本原産の植物で関東より西の地域に分布します。石灰岩地帯を好み、落葉樹林の斜面などに纏まって自生。凍てつくような真冬に芽を出し花を咲かせます。後に葉を茂らせ晩春には茎葉が枯れて球根状態で秋まで休眠に入ります。
節分草

雪解けを待たず日向に咲く〝福寿草〟は春を告げる一番花で、そして〝まんさく〟、〝桃の花〟と咲き継ぐ春が本当に待ち遠しいですね。
春よ来い、早く来いと雪解けを待たずに咲く福寿草

「早春賦」の歌詞が心に浮かぶのもこの頃です。 

坂村 真民氏のこの誌が大好きです。

              花と星
          天に向かって花は咲き
            地に向かって星は光る
           ああ、人生は何に向かって生きるのか
             朝(あした)には花に向かい
             夕べには星に向かい
           われは願いを重ね行く

コロナが治まり、平穏な春夏秋冬が訪れる事を願うのみです。

2022年2月4日金曜日

日本三大不動【中野不動尊】の涅槃図

 毎年松の内を過ぎた1月14日に正月飾りの札納めにここ【中野不動尊】に行っていましたが、節分(2月3日)が過ぎた今日、時期遅れの札納めに行って来ました。

遅れた理由は、年末近年にない大雪の雪掻きで腰を痛め、高い神棚の飾り物も外せず病院通いと温泉療養とで時期を逃してしまい、ようやく痛みも治まり歩ける様になり出掛けて来ました。

ぐるっとナビより

今までは牛蒡しめ縄でしたが、今回は鼓銅型しめ縄にしてみました。

一番高い鼓銅型しめ縄が外せず三日前まで残って・・・

以前にも書き添えた事もありますが、東北、関東、九州等多くの松の内は1月7日、関西地方を中心としたエリアは1月15日。

もともと松の内は、全国的に1月15日までだったのですが、江戸時代に明暦の大火(1657年:明暦3年1月18日~20日)が起きたあと、「燃えやすい松飾りを早く片付けるように」と幕府が1月7日までと定めた事だとか。

話は戻りますが、毎年外側の各お堂にお参りしてたのですが、今回は内側の隠れたお堂・尊仏にお参りして廻り、20年に一度の開帳、涅槃図も参拝する事も出来ました。

中野不動尊所蔵【涅槃図】

【涅槃図】
涅槃図とは、お釈迦様が入滅(お亡くなりになる事)した時の様子を描いたもので、お釈迦様が入滅されたことを(涅槃に入る)ということから、この絵を涅槃図といいます。
世の無常を暗示する真っ白な花を咲かせた、二本の沙羅の木の間に、お釈迦様は静かに横たわっておられます。
その傍らにお弟子達、信者達、様々な動物そして天神天人に至るまで、皆お釈迦様の入滅を嘆き悲しんでいますが、対照的にお釈迦様は、少し薄目をあけられた様子で、あたかもやさしく微笑んでおられるかのようです。
この時、お釈迦様は、決して亡くなられてしまった訳ではなく、完全なお悟りの境地に入られたのです。

何時ものコースと少し変え、安堵の窯を廻り麓から【かもしか亭】に通ずる階段を登ろうとした時、昨年まで危険な木製の階段だったのが、綺麗な石の階段に変わり、安全に登ることが出来ました。

修復の費用は全て多くの方々の寄付によるもので、私達もその寄付に申し入れをして来ました。


2022年1月25日火曜日

病気は数千・健康はたった一つ。

世の病には癌・心臓疾患・糖尿等など数えれば切りもありません。

昨年暮れに近年にない大雪に見舞われ、雪掃きに翻弄されると同時に腰を痛め正月明けの2日から痛みが強くなり病院通い。

事故や怪我も病気が原因で起こるうる事もあり、健康である事を改めて考えさせられました。

私の車も雪下ろしが出来ないまヽ。

結果は【圧迫骨折】らしく、入院・手術の必要もなく身体を冷やさず時間をかけて治す方法しかないとの事。

医師の指示に従い痛みに堪えて月中まで過ごすも、身の回りの事も出来ない状態になってしまう。

コロナ禍から仕事もオンライン化も進み、何処ででも仕事が出来るようになり、それなりの機器を持参して20日から一週間の予定で、栃木県【ホテルエピナール那須】に投宿。

到着と同時に早速温泉に浸かり身体を温める。

ここ那須も夕方から雪が降り出し、窓から那須連峰【茶臼岳】が目の前に望める那須平野の裸木林の地面に残雪が少し残っていたが、一夜明け一段と白さを増しました。

話は少しが外れますが、以前飼っていた雌の我が儘ハスキー犬(舞蘭)がとにかく留守番が嫌がっていたので、最近は泊まりで出かける時には必ず写真を持って(連れて)来る事にしています。

ホテル内には色んな施設が揃っていて、浴衣姿で何処へでも自由に行けるのでリハビリには最適。

朝・夕の食事は大きな会場で種類も多いバイキング。

ディナーバイキングでは毎晩、今が旬の【あんこう】の吊るし切の実演があり、その材料を基に【あんこう鍋】も自由に食べられる。

 



今回、土曜日・日曜日は素泊まりを選択して、和・洋・イタリアンの中から和食を選び【和匠ダイニング菜す乃】で。

私はお寿司

妻は一日20食限定那須の内弁当

広いロビーでは毎日、夜9時から生ライブがあり宿泊者に人気。

歩く事も寝起きするのも辛かったが、三日目(22日)の今朝はスムーズにベットから離れる事が出来、温泉効果が出たのだろうか?

痛みが和らいだ日中は館内散策、PCと戯れながらのんびり過ごしています。

今日は土曜日とあって子供連れのお若いご夫婦や、両親と子供達を連れたご夫婦、若いカップル達が次から次と訪れチェックインを済ませていました。

大きな浴場は芋洗い状態で、小さなお子さん達は裸で走り回っては転び、大はしゃぎです。

投宿して四日目、朝風呂を浴びて窓際の机に向かうと茶臼岳が丸ごと見渡せる素晴らしい天気。


薄皮を剥ぐ如く痛みも和らぎ、履けなかった靴下等も少しは楽に履けるようになる。

効果が得られそうなので、後二泊三日(27日まで)延泊を検討中。

同室での延泊がとれたので追加予約。

遅めの昼は当ホテル特製のパン・ケーキ類で人気のある【パンのアトリエ・エピドール】で喫茶。

アトリエ・エピドール

ご自慢のパン・あんみつ&コーヒーで・・・・・
パン・あんみつ&コーヒー

部屋に戻る途中オープン準備をしていた足裏マッサージのオーナーと話し込み急遽施し、パンパンに張っていた脹ら脛(すね)が程よく火照り、軽く歩ける感じがする。

今日の生ライブは昔懐かしいグループサウンズの名曲を演奏するグループなので、ロビーに見に行ってきました。
ヒロ森本

ヒロ森本
「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の5代目ギタリストとして約15年間在籍。その後ヒロ森本バンドを率い、ベンチャーズ、グループサウンズ、ロックンロールなど幅広いレパートリーを売り物に那須方面を中心に演奏活動中。また、当ホテルエピナール那須の元フロントスタッフという異例の経歴の持ち主。

今日(24日)のライブは【JJ】さん。
フィリピン出身【JJ】さん
JJさん
来日して30年、日本各地で演奏活動を行う。歌声には定評があり、ソロとしても活動。

透き通る様な凄い声量で感動。

2022年1月森のハーティー・パーティーの一部をスマホで撮影した動画を、YouTubeにアッ
プしてみました。

 

演奏終了後、声かけに気さくに応対して頂き、26日再度お話を頂ける事に。

リクエストに【美しい昔】の無謀なお願いにこれ又、練習して歌わせて頂きま
 すとの事。

ベトナム戦争の悲劇をベトナム人が作詞・作曲したものを天童よしみさんが歌ってます。
 
 
ベトナム戦争とは?
南北ベトナムの統治をめぐる戦争のことで、南ベトナムはアメリカ合衆国、北ベトナムはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の支援を受けていたため、米ソを始めとする資本主義陣営と社会主義陣営の代理戦争とも云える。1955年に始まり、1975年4月30日まで続き、南ベトナム陥落を受け、北ベトナムの勝利に終わり、数百万人の死者が出た。

25日、大分良くなったと思っていたら朝から痺れと痛みが出て、又歩行困難に。

朝はバイキング、昼はパンのアトリエ・エピドール】で好みのパンを買って、夜は【和匠ダイニング菜す乃】

エレベーターで大浴場に下りるにも辛かったが、4回ほど通い持参した痛み止めを飲んで昼寝!

ロビーに数種類の新聞があり、読んでいる直ぐ横にあるアトリエ・エピドール】に出来上がった味しそうなパン、ケーキ類が次々と運ばれて来て、その度そのりを放ち乍ら傍を通り過ぎてお店に並ぶ。
パン好きの私には買わずにいられない。

26日
痛みが取れたのか朝10時頃まで寝込んでしまう。

先日、足裏マッサージを施して頂いた処に再度訪問、治療して頂きながら話が弾み、PCで作業記録を入力しているがうまく行かないとの事。

知っている範囲ならお教え出来ますが?と云うと、是非との事だったので実技のアドバイスをしたところ、治療費は頂けないと云う事なのでご厚意に甘えさせて頂きました。

今日からの延泊は朝夕ともバイキングは少し飽きも出たので、素泊まりとして朝はエピドールで軽めにパンとコーヒーで済ます。
少なめの喫茶
コーヒーはお代わり出来るとの事でお願いすると、器を変えて持ってきてくれた。
なんとニッコー

5:30オープンの【和匠ダイニング菜す乃】で。

先日の【JJ】さんとの約束もあり、開演のPM9:00にロビーに下りて行くと、JJさんが近寄ってきてCD3枚、プレゼントして頂きました。
オリジナルCD
痛みが続いていた夢は毎夜上手くいかないゴルフや辛い思いでばかり。

少し痛みが取れた夜は友とゴルフを楽しんでいる夢。

早く痛みが取れ仲間と楽しく過ごせる春を待つ心境は童謡の【春よこい】の如く。

明日27日は朝ご飯を頂き、ゆっくり帰路に。

多くの皆さんにお世話を頂き、感謝、感謝の7泊8日でした。