駅を出てすぐ正面に【石川啄木と小樽駅】と題してこんな誌と案内板があり、その中に啄木が読んだ誌と切ない一説が書いてあった。
『子を負いて、雪の吹入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな。』
啄木は姉トラの夫、山本千三郎が当時中央小樽駅長だったので、函館から小樽へ家族を呼び寄せた。しかし、わずか5ヶ月後の明治41年1月19日数々の想い出を残し、雪の降るなか妻、節子に見送られこの地から寂しく釧路へと向かった。
奇しくもその日の一日前が小樽を出て我が家に戻る日とは・・・自分には待っててくれる妻がいる・・幸せなり。
駅を背に真っ直ぐ10分程歩くと小樽港。カモメがのんびり波に浮いていた。
穏やかな小樽港 |
古~い赤錆た列車の信号機と手宮線跡地の案内板。
歩道を横切る古い線路。 |
読めるかな? |
おばあさん『は~い! 健康のために』と答えてくれた。無言のまヽ一緒に少し歩くと左に曲がりアーケードの中へと入っていった。
小樽のひと |
定時のローカル線で長万部まで。その時間故、通勤・通学客はなく乗客はまばら。車中で停まる駅毎。愛用のカメラで雪深いローカル駅舎を撮影していた、年は同じ位の男性の方に失礼かと思ったが声を掛けさせて頂いた。
やはり3年前にリタイヤをされ東北・北海道5日間フリーパスを利用し、15日から神奈川から来られ今夜は函館にお泊まりとの事でした。願わくばどこかで又お会い出来ればと・・・・。旅の撮り置き写真をこちらに纏めてみました。
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