2022年3月10日木曜日

浅間山荘事件と初めての長野県入り

先日、浅間山荘事件発生から50年が過ぎた事をテレビで報じられていた。

当時28歳の私は初めて長野県を訪れる途中の出来事でした。

1972年(昭和47年)2月19日昼頃に前橋・高崎で仕事を終え、車で国道18号線の碓氷峠を通って長野市に向かう途中、軽井沢駅の手前で車を止められ何が何だか分からなかったが、警察車両・消防車・救急車、上空ではヘリが旋回し、物々しい状況でした。

2月の寒い時期、停止されて約6時間の間、車内の積みには全部出され、ボディーチェックを受けて、ようやくおおよその事態が分かった。
当時乗っていた日産チェリースポーツ(この色)

通行が解除されたのがすっかり暗くなり、当時携帯もなく長野市に初めて入って宿探しに四苦八苦。

ようやく見つけた宿は善光寺さん麓の食事は提供していない連れ込み宿【喜楽荘】。

駐車場は通りの面して一台のみ、年の頃は60代のご夫婦で自家食材で作って頂いた夕食は何か特別なおもてなしを感じた事を思い出します。

その宿に三日滞在し長野を外れ新潟へ。

以前から新潟では取引先があり同じく三日程過ごし、高速道路もない国道49号線の山道を通って自宅についても未だその事件の中継が続いたいた。
河合楽器製作所保養所

新潟・長野には約20年通い続け、新潟の取引先の方は10年前に逝去され、娘さんが引き継ぎ現在もお付き合いさせて頂いておりますが、長野の方は12年前に逝去され、後継者もなく廃業されています。

因みに新潟・長野での宿(旅館)は20年間変えた事はありませんでした。


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