2019年1月7日月曜日

新潟県村上市名産【塩引き】を訪ねて

昨年末、妻とテレビを見ていたら村上の塩引きが報道されていて、顔を見合わせ思わず行って見ようとなった。

以前訪れた際、ホテルの玄関やお店の軒先に干してあり、その【塩引き】の知識は多少あったものの、買って帰る程の興味はなかった。

又、素人が思うには腹の中程を残して、何故喉から肛門まで裂かないのかがとても疑問でした。

その理由は、村上が城下町であった名残で、いわゆる「切腹」を嫌い、一箇所つなげていると言われているようですよ!!
塩引き
そして毎月、2と7のつく日に開催され、約100年の歴史のある【六斎市】が村上の台所として賑わっている事も知り行動を掻き立てた。

6日自宅を出、高速東北道・磐越道を通って村上市へ向かい、予約のホテルチェックインまで時間があり、少し北上し何度も訪れた【笹川流れ】であったが、真冬のこの地は初めてなので途中左手の荒れ狂う日本海を見ながら村上市から約30分で到着。

白波が岩を叩く笹川流れ
雪が横から叩きつける寒さに身を縮め、写真を撮るのが精一杯で直ぐ退散。

波打ち際に建つ【ニューハートピア新潟瀬波】に4時前チェックイン。
ニューハートピア新潟瀬波
正月気分も終わり、宿泊人数も少なく天然温泉で冷え切った身体を癒やし夕食までゆったりと過ごす。

翌日、目的の【六斎市】へ。

場所は村上市役所などが建ち並ぶ通りの約1000㍍を車両通行止めとして早朝から昼頃まで開催されているようだが、今回は正月明けと雪交じりの風が吹き荒れ訪れる人も少なく、10時過ぎだったが店じまいを始めているところだった。
早めの店じまい
寒そうに片付けをしている同じ場所で50年も続けて居られる塩引き専門の出店で話し込み、お勧めの塩引きを購入し、三枚におろして切り身してもらう。

妻がいつも何かのためにと持ち歩いている手土産を、ご主人と奥様に差し上げて来年も必ず来ることを約束。
鮮やかな手つきで
店じまいして出店が少なくなった通りを散策し、何処のホテルや旅館に張ってある『吉永 小百合さんと【千年鮭きっかわ】の軒先で撮られた(大人の休日倶楽部)』ポスターの場所を訪ねる。
大人の休日倶楽部ポスター
鮭の暖簾が風で激しく靡く【千年鮭 きっかわ】
千年鮭きっかわ
何故かその脇にナンバーの付いていないロンドンタクシーが。
ロンドンタクシー
塩引きと荒巻の違い
「新巻(アラマキ)」の語源はかって塩蔵のサケを保存したり、運ぶ際、荒縄、菰等で包んだり、吊るしたりしたので「稲巻」「わら巻き」がいつのまにか「アラマキ」と呼ばれる様になったと言われてり、古くは秋サケの塩蔵を指し、お歳暮用のサケの代名詞として広く使われていました。
塩引きとは鱗に逆らって、その間に塩をすり込む動作から名づけられたとしていて、塩引きという言葉は、約1000年前に「楚割(そわり)鮭」という名で記録され、戦国時代には正月料理のひとつになっている。

青砥 武平治
約300年前の江戸時代の中頃、鮭が貴重な財源だった越後村上藩では、乱獲により鮭が枯渇。藩主からなんとかせよ、という使命を帯びた武平治は、鮭の母川回帰性(生まれた川に戻ってくる習性)に着目。現在の村上市の三面川(みおもてがわ)に種川というバイパスを造成し鮭を誘導、鮭が産卵するまでは禁漁し、卵を産んだ後の鮭のみを捕獲する「種川の制」という鮭の自然ふ化増殖システムを考案。つまり川に戻ってきた鮭をすぐに獲るのではなく、より計画的かつ効率的に鮭を増やしながら獲る仕組みを作りました。
その結果、200両程度だった村上藩の鮭の収入は約5倍に向上。見事藩の収益アップに貢献しました。


今年は今のところ雪が少なく助かりますと地元の方は云う。

帰りは雪の多い山間部の一般道路、国道290号、関川→越後大島→JR米坂線沿いの国道113号、小国町→国道13号、山形県米沢市→福島でした。

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