2015年12月2日水曜日

第15回、イヤシマスナイト

師走に入り街中は一段と忙しさが感じられる様になりました。

そんな中、恒例のイヤシマスナイトが、市中心部にある音楽堂で開催された。

主催者は元ラジオ福島アナウンサー、現フリーのアナンサー【荒 川 守 氏(アナウンス学院主宰)】。

第15回イヤシマスナイト
オープニングは地元福島、ジャズ奏者【齋藤善護氏】のギター演奏で始まり、会場のムードを盛り上げて下さいました。
ジャズ演奏活動の齋藤善護氏
続いてアナンサーならではの透き通った声と、場馴れした流暢さで与謝野晶子、金子みすゞ等々の詩を朗読。
荒川 守氏
毎回、忙しい師走の時期、癒されています。

与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」、金子みすゞの「お魚」、「大工と鬼六」・・・・の朗読に続き、
福沢諭吉の「桃太郎盗人論」、終わりは「宮本武蔵の子」の朗読でした。

なぜ武蔵は小次郎に勝つ事が出来たのか、武蔵の考えや行動を検証してみましょう。
① 佐々木小次郎のいる敵地に乗り込んで戦う事。
② 無事に巌流島に行き着けるか? 試合に勝ったあと無事に立ち去ることができるか?
   武蔵の計画の大前提は、「無事に島に着き、無事に島を立ち去る」ことが必須でした。
③ 決闘の日の朝早く、船宿の主人に潮の流れを聞いていた。
④ 宿の主人の情報に基づき、計画を立てる。
⑤ 上げ潮に乗り、短時間で巌流島に到達して、試合後は引き潮に乗り早く立ち去る事。
⑥ この作戦を実行するため、武蔵は予定を2時間も遅らせて出発する事に。
⑦ 船の中で、小次郎の長刀に対抗するため、長い木刀を作り自分の武器とする。
⑧ 予定時間を遅らされた小次郎はイライラして直ぐに向かって来ると推察し、
       自分が太陽を背にすることで、小次郎の精神も瞳も疲れさせる事。
        


時は、慶長17年(1612年)4月13日。
巌流島は山口県下関市にある、無人島で戦いが繰り広げられ、決闘を約束した辰の刻(午前8時)から2時間後、宮本武蔵は巌流島に船でやってきます。
小倉藩剣術指南役・佐々木小次郎は待ちくたびれて、苛立ちを抑えきれず小次郎は刀を抜き、海へ鞘を投げてしまいます。(鞘に刀を収める事の出来るのは勝者のみ・・・・)
武蔵が小次郎のもとへ刀を振りかざし,眉間目掛けて打とうとしたとき、武蔵は素早く木刀を振りました。
武蔵の刀は小次郎の額に当たり、小次郎は倒れ武蔵の額にしていた鉢巻は小次郎の打った刀により二つに切られましまいます。
武蔵は倒れた小次郎に、再び木刀を振り上げた瞬間、小次郎は刀をかざし武蔵の袴を三寸切り裂きました。
しかし小次郎は脇腹や横骨などを打たれ気絶しましまい、武蔵は一礼して立ち去り、小舟に乗って下関の方へ進んだといいます。
小次郎は敗北しましたが、地元の人々に慕われの小次郎の剣の流派である「巌流」からとって、
その島を「巌流島」と呼ぶようになりました。

今回は15回目の記念と云う事で、豪華景品の抽選会があり会場は一層盛り上がっての終演でした。
豪華賞品抽選会
又、来年の【イヤシマスナイト】が楽しみです。

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