初日『12月3日』
会津方面・白河、郡山方面から乗り込んで来るバスの待ち合わせ時間が東北自動車道下り福島西インター朝7時。
そこから約10名が加わり、リーダーの【篠崎 準さん】を中心に旅の始まりです。
仙台空港発10:30分の飛行機で約3時間(12時20分)福岡空港到着。
福岡空港から専用バスで約2時間でハウステンボス到着。
夕食は船上レストラン【デハール号】で美味しいお料理に長旅を忘れ舌鼓。
船上レストラン【デハール】 |
町歩く人達もダウンコートに身を包み、襟を立て足早に歩く姿が目につきました。
食事の後は雨に激しく降られたと思いば、雲間から星が見えたりと気まぐれな長崎の夜で、正に歌のタイトルにもある様に『長崎は今日も雨だった』でした。
夜空にきらめく観覧車・光りと噴水の運河クルーズ等々に乗り時間の過ぎるのが忘れてしまいます。
光りの宮殿 |
ライトアップされたスタッドハウス |
4大3Dプロダクションの一つ『伝説のドラゴンが蘇る』がこれ↓
船に乗り光と噴水の運河から 光のパレードを鑑賞。
次になんと云っても観覧車でしょう!! と云う事で雨の中長い列に並んで・・・・・
充分テンボスの夜を過ごし、今夜の宿は広大な同敷地にあるフォレストヴィラに。
フォレストヴィラ |
二日目『12月4日』
9時30分~11時、JRAゲルックホール(ウィンズ佐世保)にて会社のオリジナルセミナー『MIKI ROAD』へ。
スペシャルゲスト
陶芸家 源右衛門窯 代表取締役社長 金子 昌司氏の【焼きもののある暮らし】と題したご講演。
ハウステンボスの再建に乗り出され、黒字化を達成された大手旅行会社、HIS社長 澤田 秀雄氏の【夢をかなえる実行力】と題したご講演を聞かせて頂きました。
澤田氏のご講演の中で「嘘でも良いから明るく、元気よく」「落ち目になった時はじっとしているか、思い切って飛び出すかの二つに一つ」には凄い感銘を頂きました。
その後は青葉特別企画の観光へ。
九十九島遊覧船で島巡り。
【九十九島】
途中の佐々川河口を境として北側を「北九十九島」、南側を「南九十九島」と呼んでいる。南九十九島は遊覧船が佐世保市鹿子前(かしまえ)の西海パールシーリゾートから出航している他、シーカヤックやヨット等のマリンスポーツも盛んで、日本百景に選定されている。カキの生産地でもあり、冬場には地元漁協によるイベントも行われる。
オリジナルコースを周り今夜の夕食は世界三大夜景を一望出来る稲佐山山頂展望台【光のレストラン】の和食コース。
【世界三大夜景】
夜景観光コンベンションビューローが、同法人が認定を行っている夜景鑑定士3500人へのアンケートを元に、2012年10月に長崎市で行われた「夜景サミット2012 in 長崎」において、長崎・香港・モナコを「世界新三大夜景」と認定された。
最後の宿泊は長崎市内の【JALホテル】
四日目『12月5日』
【大浦天主堂】
長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物で、正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
1953年(昭和28年)に国宝に指定された。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。
日本二十六聖人は、1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。
【グラバー園】
グラバー邸は イギリス商人のグラバー氏が幕末の 長崎に日本人をもてなすために作った邸宅で、大切なお客様を最高のサービスで迎える為とされている。
当時の長崎の街は、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていました。大洋の波涛を越え、夢を抱いてやってくる異国の商人たち。倒幕の野望に燃える幕末の志士達や、西洋の学問を志す日本の若者達の集いの場でもあった。
【平和公園】
1945年(昭和20年)8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上とを含めた地域に、平和を祈って設けられた。
「平和の泉」
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設された円形の泉です。
平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記が刻まれています。
「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
【有田ポーセリンパーク】
パークのシンボルであるツヴィンガー宮殿を中心に広々とした庭園・有田焼体験工房・登り窯・展示館・飲食店・お土産品売り場などの施設があり「酒・器」のテーマパークとなっています。
西九州自動車道→長崎自動車道→福岡空港→仙台空港→仙台南・東部道路→東北自動車道→福島西IC→自宅。
皆さんに大変お世話になり楽しい旅でした。
ブログ【ふくしま便り】では福島地域情報を発信しております。
その後は青葉特別企画の観光へ。
九十九島遊覧船で島巡り。
海賊船【海王丸】 |
途中の佐々川河口を境として北側を「北九十九島」、南側を「南九十九島」と呼んでいる。南九十九島は遊覧船が佐世保市鹿子前(かしまえ)の西海パールシーリゾートから出航している他、シーカヤックやヨット等のマリンスポーツも盛んで、日本百景に選定されている。カキの生産地でもあり、冬場には地元漁協によるイベントも行われる。
無数の小島が点在している |
夜景が一望出来る窓際のテーブルで |
夜景観光コンベンションビューローが、同法人が認定を行っている夜景鑑定士3500人へのアンケートを元に、2012年10月に長崎市で行われた「夜景サミット2012 in 長崎」において、長崎・香港・モナコを「世界新三大夜景」と認定された。
最後の宿泊は長崎市内の【JALホテル】
四日目『12月5日』
【大浦天主堂】
長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物で、正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
1953年(昭和28年)に国宝に指定された。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。
日本二十六聖人は、1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。
雨の大浦天主堂 |
グラバー邸は イギリス商人のグラバー氏が幕末の 長崎に日本人をもてなすために作った邸宅で、大切なお客様を最高のサービスで迎える為とされている。
グラバー邸 |
五島灘をを見渡す絶景 |
1945年(昭和20年)8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上とを含めた地域に、平和を祈って設けられた。
長崎平和公園 |
平和の泉(左が少女の手記碑) |
平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記が刻まれています。
「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
ある少女の手記 |
パークのシンボルであるツヴィンガー宮殿を中心に広々とした庭園・有田焼体験工房・登り窯・展示館・飲食店・お土産品売り場などの施設があり「酒・器」のテーマパークとなっています。
有田ポーセリンパーク |
西九州自動車道→長崎自動車道→福岡空港→仙台空港→仙台南・東部道路→東北自動車道→福島西IC→自宅。
皆さんに大変お世話になり楽しい旅でした。
ブログ【ふくしま便り】では福島地域情報を発信しております。
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