2014年12月6日土曜日

ハウステンボス

仕事の関係で3日~5日迄九州の旅でした。

初日『12月3日』
会津方面・白河、郡山方面から乗り込んで来るバスの待ち合わせ時間が東北自動車道下り福島西インター朝7時。

そこから約10名が加わり、リーダーの【篠崎 準さん】を中心に旅の始まりです。

仙台空港発10:30分の飛行機で約3時間(12時20分)福岡空港到着。

福岡空港から専用バスで約2時間でハウステンボス到着。

夕食は船上レストラン【デハール号】で美味しいお料理に長旅を忘れ舌鼓。
船上レストラン【デハール】
この時期日本列島は寒波に見舞われ、冷蔵庫に入った様な寒さで九州の山並みにも雪化粧が見られました。

町歩く人達もダウンコートに身を包み、襟を立て足早に歩く姿が目につきました。

食事の後は雨に激しく降られたと思いば、雲間から星が見えたりと気まぐれな長崎の夜で、正に歌のタイトルにもある様に『長崎は今日も雨だった』でした。

夜空にきらめく観覧車・光りと噴水の運河クルーズ等々に乗り時間の過ぎるのが忘れてしまいます。
光りの宮殿
アムステルダムシティのスタッドハウスはライトアップされ、時間で驚異の映像イルージョンを毎夜開催されている。
ライトアップされたスタッドハウス
 4大3Dプロダクションの一つ『伝説のドラゴンが蘇る』がこれ↓

 
 
船に乗り光と噴水の運河から 光のパレードを鑑賞。


 次になんと云っても観覧車でしょう!! と云う事で雨の中長い列に並んで・・・・・
白い観覧車.jpg
 
充分テンボスの夜を過ごし、今夜の宿は広大な同敷地にあるフォレストヴィラに。
フォレストヴィラ

二日目『12月4日』
9時30分~11時、JRAゲルックホール(ウィンズ佐世保)にて会社のオリジナルセミナー『MIKI ROAD』へ。
 
スペシャルゲスト
 陶芸家 源右衛門窯 代表取締役社長  金子 昌司氏の【焼きもののある暮らし】と題したご講演。
 
ハウステンボスの再建に乗り出され、黒字化を達成された大手旅行会社、HIS社長  澤田 秀雄氏の【夢をかなえる実行力】と題したご講演を聞かせて頂きました。
 
澤田氏のご講演の中で「嘘でも良いから明るく、元気よく」「落ち目になった時はじっとしているか、思い切って飛び出すかの二つに一つ」には凄い感銘を頂きました。

その後は青葉特別企画の観光へ。

九十九島遊覧船で島巡り。
海賊船【海王丸】
【九十九島】
途中の佐々川河口を境として北側を「北九十九島」、南側を「南九十九島」と呼んでいる。南九十九島は遊覧船が佐世保市鹿子前(かしまえ)の西海パールシーリゾートから出航している他、シーカヤックやヨット等のマリンスポーツも盛んで、日本百景に選定されている。カキの生産地でもあり、冬場には地元漁協によるイベントも行われる。
無数の小島が点在している
オリジナルコースを周り今夜の夕食は世界三大夜景を一望出来る稲佐山山頂展望台【光のレストラン】の和食コース。
夜景が一望出来る窓際のテーブルで
【世界三大夜景】
夜景観光コンベンションビューローが、同法人が認定を行っている夜景鑑定士3500人へのアンケートを元に、2012年10月に長崎市で行われた「夜景サミット2012 in 長崎」において、長崎・香港・モナコを「世界新三大夜景」と認定された。

最後の宿泊は長崎市内の【JALホテル】

四日目『12月5日』
【大浦天主堂】
長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物で、正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。
1953年(昭和28年)に国宝に指定された。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。

日本二十六聖人は、1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。
雨の大浦天主堂
【グラバー園】
グラバー邸は イギリス商人のグラバー氏が幕末の 長崎に日本人をもてなすために作った邸宅で、大切なお客様を最高のサービスで迎える為とされている。
グラバー邸
当時の長崎の街は、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていました。大洋の波涛を越え、夢を抱いてやってくる異国の商人たち。倒幕の野望に燃える幕末の志士達や、西洋の学問を志す日本の若者達の集いの場でもあった。
五島灘をを見渡す絶景
【平和公園】
1945年(昭和20年)8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上とを含めた地域に、平和を祈って設けられた。
長崎平和公園
「平和の泉」
平和の泉(左が少女の手記碑)
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設された円形の泉です。
平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記が刻まれています。

「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」
ある少女の手記
【有田ポーセリンパーク】
パークのシンボルであるツヴィンガー宮殿を中心に広々とした庭園・有田焼体験工房・登り窯・展示館・飲食店・お土産品売り場などの施設があり「酒・器」のテーマパークとなっています。
有田ポーセリンパーク


西九州自動車道→長崎自動車道→福岡空港→仙台空港→仙台南・東部道路→東北自動車道→福島西IC→自宅。

皆さんに大変お世話になり楽しい旅でした。

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2014年11月10日月曜日

台湾(台北)十分老街・九分観光とゴルフ。



11月6日~9日まで4日間、福島空港からチャーター便で台湾(台北)観光とゴルフに。

私達のグループは何時もお仕事でご一緒の6名です。

【一日目】11月6日
福島空港午後3時のフライトで約4時間、台湾桃園国際空港(たいわんとうえんこくさいくうこう)到着。

迎えのバスで予約をしていたホテル君品酒店(パレ・デ ・シン)に。


君品酒店
エントランスに一歩入ると古代のフランスにタイムスリップしたみたいで、全体が黒調で照明も落とされていて一層豪華さが感じられる。

ホテルのデザインはクラシカルなヨーロッパをイメージしており、ホテル内には彫刻や絵画が飾られていて、エントランスに置かれた駿馬の像には意味があり、馬は人々の行動範囲を広げ、各地に宿を作るきっかけになり、現在の多種多様なホテル業に繋がっているそうです。

そのため「馬」は君品酒店のデザインの中で重要なものになっているのとの事。
等身大の馬
クラブの様な雰囲気の中でホテルスタッフのお勧め牛肉うどんを注文。

じっくり煮込んだ牛すじの美味しさは絶品でした。
牛肉(牛すじ)うどん

寝室とリビングルームが別になっていて、リビングには優雅なソファがありゆっくり座って会話できる。

シャワーはセパレートシャワーブースとなっていて、バスタブも備わってお湯にじっくり浸かって疲れを癒す事が出来る。
室内
【二日目】11月7日
吉田さん・大川原さん二人は故宮博物館とお茶セミナーそして市内散策へ。

篠崎さんご夫妻と私達は迎えの車でゴルフ場【新淡水高爾夫球場】へ。

丘陵地帯のコースで打ち上げ、打ち下ろし池越えと、変化に富んでいてアップダウン激しく全体的に狭いコースではあるが、景色は最高。
新淡水ゴルフ場
プレーヤー2名に一人のキャディが付き、比較的楽に楽しむ事が出来るが、下手な私達にはボールの紛失は避けられない。

女性組
プレーの後、軽い食事とスイカジュースで乾杯。
クラブハウスのテラスで
一端ホテルに戻り、市内観光組と合流して行列の出来る鼎泰豊(本店)[ディンタイフォン]へ。
泰豊(本店)

空芯菜は茎の太さが同じ物を揃え、小籠包のひだは18と全てに拘り人気を呼んでいる。
拘りの空芯菜
小籠包・エビ蒸し餃子他飲茶料理、どれをとっても絶品。
料理の数々
お腹も満たされ士林夜市へ。
値段の交渉中


今日のゴルフと町歩きの疲れを癒やすため、
台湾式全身マッサージ迎えの車を呼び全員で90分コースへ。

迎えの車はなんと【志村けんの(ばか殿)】マークで驚き。

全てに満足しホテルへ。


【三日目】11月8日
ホテル朝7:50出発台北郊外の街【十分】へ。

最初に【成安宮】をお参り。
成安宮
通称【台湾ナイアガラ】と呼ばれる瀑布【十分滝】は道中の工事の為入る事が出来ず、水流により浸食された奇岩のみの散策でした。
通称メガネ岩
十分街駅
平渓鉄道沿線で最大の駅で、往復の列車がこの駅ですれ違いの待ち合わせをし、運転手もここで通行証を交換します。

このような日本統治時代から受け継がれている運行制度の多くは、すでに見ることが出来なくなりました。

十分地元の住民は線路の上を日常的に往来して、それが習慣となっており、列車が通り過ぎたあと隣近所の人が線路の上でおしゃべりしている光景もよく見られます。
列車が通った後住民の憩いの場所となります


そして天燈上げは【十分】が発祥地で、落下した天燈が民家の屋根に落下し火災になってしまうので、今はここだけになったとか?

思い思いの願いを書いて天高く飛ばします。
天燈
十分駅からローカル線に乗って【瑞芳駅】下車。

再びバスで千と千尋の神隠しで有名になった【九分】へ。

【九分の由来】
九份という地名の由来はいくつかあり、一般的に台湾語で「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」の意。
または、清朝初期に9世帯しかなく物を買うときにいつも「9つ分」と言っていたことから、ともいう。

土曜日の今日は大型バスは途中までしか入れないので、公営バスに乗り換えての移動です。

まず昼食は焼き海老が人気で見晴らしが素晴らしい【九戸茶語】2階にて台湾郷土料理のランチ。

これはここのお店の名物でエビの紹興酒蒸しだそうです。

他には芋の蒸した料理、野菜と肉炒め、あんかけ豆腐、白身魚のあんかけ、デザートは芋圓と思しきもっちり甘い団子。

海老の紹興酒蒸し
九戸茶語からの眺め。
最高の眺め
今度は『千と千尋』の湯婆婆の屋敷のモデル!になった【阿妹茶酒店】ようですょ。
阿妹茶酒館
お茶のお供
阿妹茶酒館テラス
夕食は市内に戻り焼き肉バイキング。

明日は現地時間9時30分(日本時間10時30分)のフライトで帰国。

天候にも恵まれ楽しい旅行でした。


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2014年9月30日火曜日

一人旅(東北・北海道)

今回も9月25日から始まった大人の休日倶楽部パス(東日本・北海道)を利用して5日間、四度目の一人旅に出かけて来ました。

以前、冬の北海道では大雪で足止めとなり稚内に二連泊、そして初夏は滝川・岩見沢間で大雨により立ち往生とあまり印象は良くなく、今回も台風の接近で危ぶまれたが、5日間とも天候に恵まれて楽しく気の向くままの気軽な旅でした。

9月25日(一日目)
自宅を7時に出て仙台で乗り換え東北新幹線(はやぶさ)で新青森駅11:19分到着。

新青森で乗り換え青森駅へ。

ネットで調べておいた青森駅前のフェスティバルシティアウガ地下1階【郷土料理 津軽三味線 りんご箱】で本場の津軽三味線を聞きながら、創作寿司を堪能。
創作寿司

 津軽三味線の始祖は、幕末に五所川原の金木地区に生まれたボサマ「仁太坊」(にたぼう)。それまで地味な門付け芸だった三味線音楽に革新的な奏法を取り入れ、津軽三味線の原型を築いたと・・・・・津軽弁で紹介してくれた。

郷土料理 津軽三味線 りんご箱



舞台の袖では亀さんも豆絞りを頭(首?)に巻いて頑張ってました。
豆絞りがお似合い
前回は冬の青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸に乗船し内部を見て廻ったので、今回は汗ばむ程の好天だったので近辺を散策。
八甲田丸とベイブリッチ
散策後予約のホテルへ。


9月26日(二日目)
青森駅発10:30分スーパー白鳥1号で函館へ。

函館駅12:22分発スーパー北斗7号で札幌、札幌駅から16:30分発スーパーカムイ29号で17:59分旭川に到着。

毎回の事ではあるが函館・札幌間の函館本線は連結数も少なく、利用客が多いため当日の指定券購入は非常に難しく、今回も殆ど約3時間半立ち通しで、疲れ切って予約のホテルへ。

ここで又も問題発生。

次の宿はホテルでネットでの予約が一人旅恒例なので、予定は函館近辺にと思っていたが、いくら探しても札幌・旭川・小樽・函館等々全部満室。

 夜中の12時頃やっと探し当てたのが、函館本線小樽築港駅下車の朝里温泉【朝里クラッセホテル】

道内に泊まることが出来なければ、明日の動物園をスルーして本州に戻って富山方面へとも考えたが土曜日故、何処も同じと判断して前日予約した【ドーミーイン旭川】の天然温泉につかり、疲れ切った身体を癒やして床につく。


9月27日(三日目)
旭川駅前よりバスで約50分、旭山動物園へ。

冬に訪れた時は外の気温が-12度。今度は17度とその温度差は29度。

動物たちはその暑さに殆どお昼寝モード。
気持ちよさそうに
こちらはライオンの夫婦かな?
なんの夢を見ているのか?
人気のペンギンも暑すぎて、もぐもぐタイム(餌付け時間)になっても反応が鈍い。
間もなくもぐもぐタイム
園内の木々も少し赤く染まり、あと一週間程で見頃を迎えそうでした。
赤みを増した園内
動物園から旭川に戻り、旭川駅13:55分発スーパーかカムイ26号で札幌へ。

札幌から函館本線普通列車で小樽の二つ手前の駅小樽築港で下車して、朝里温泉駅行きのバスに乗り、昨夜遅くどうにか取れたホテル向かう。

降りた目の前に予約したホテル。

凄く豪華なホテルにびっくり。
朝里クラッセホテル正面
昼・夕食は駅弁と決めているので、ホテルでの食事は朝食のみなので、温泉で汗を流しロビーでコーヒータイムと洒落込む。

ピアノ・フルートの生演奏があり、何時もよりリッチな気分を味わう事が出来た。




朝食はバイキングでその品数が多く、しかも小樽駅までの無料送迎バスもあり、料金は朝食付き一泊約8,000円と驚き。

ホテルの後ろにはスキー場、そして近くにはゴルフ場等と、機会がある方には是非お勧めです。


9月28日(四日目)
ホテルの無料送迎バスで約20分小樽駅に。

小樽へは冬場に訪れているので今回は予定をしていなかったが、ホテルが取れない事もあってただ立ち寄るだけとなってしまう。
小樽駅
この小樽駅は石川啄木が妻を残し、釧路へと旅立った駅。

       【子を負いて雪の吹きいる停車場に、われ見送りし妻の眉かな】

石川啄木は姉トラの夫、山本千三郎が当時中央小樽駅の駅長であったので、函館から小樽へ家族を呼び寄せる。しかし、わずか5ヶ月後の明治41年1月19日数々の思い出を残して、雪の降る中、妻 節子に見送られこの駅から寂しく釧路へと向かった。

小樽駅11:04分発、エアポート114で札幌へ。

札幌駅12:13分発スーパー北斗10号で函館へ。

この区間(約3時間半)は前記したように当日の指定券確保は非常に難しく、この日も指定券は取れなかったので、自由席を確保する為早めにホームへ。

その満員の車内で素晴らしい行動をされていた若い男性に出会い、涙がこぼれる程の感動を頂いた。

通路は身動きも出来ないほどの混み様なのに、他人の荷物を網棚の上げ下ろしを手伝ったり、トイレに行く乗客にはこれ以上細くなれない程身を細め通してやったりと。

途中空席が出ればお年寄りや女性を誘導して座らせ、自分は持参したいる荷物に腰を下ろしての繰り返し。

列車が昭和新山が右手に見え始めた頃、比較的空き始めたので声を掛けさせて頂き話を伺う事が出来ました。

私はJRの職員で皆さんに少しでも楽しい旅にして頂きたいと思い、お手伝いさせて頂いていますとの事。

通路を挟んだ右側に綺麗にお年を重ねられたご婦人二人も、このパスを利用して栃木から来られ山登りをして帰る途中とか、やはりその一部始終を見て感動されていました。

もちろんこの日はプライベートの乗り合わせらしく、大きな荷物にTシャツ・Jパン姿。
あえてピンぼけに・・・

JRの職員だから座ってはダメとか乗客の手荷物を網棚への上げ下ろしを手伝いなさい等との指示はありませんが・・・・と話してくれた。

上層部の怠慢で大事故に繋がらないとも限らない事故が起きている昨今、もう一度、気を引き締め直してお客様の安全を確保して欲しいものと思います。

こんな素晴らしいJRの社員がいる事をどうしても伝えたいと思い掲載しました。

そんな感動を頂きながら函館に到着。

昨晩予約したホテルにチェックイン。


9月29日(五日目)
最終日の今日は少し遠回りをして列車の旅を楽しもうと、函館駅8:08分発白鳥16号で青森へ。

青森駅13:36分発つがる6号で秋田へ。

秋田駅16:34分発秋田新幹線で大曲、その大曲駅17:46分発の奥羽本線ローカル列車で新庄へ。

途中、学生さんが多く乗り降りして賑わっていたが、中間付近の院内駅通過時間18:58分頃から、乗客は私一人と、迷い込んだ【トンボ】のみ・・・凄く心細く感じる。
誰もいない車内
迷い込んだ【トンボ】が吊り革に。
迷う込んだ【トンボ】
待ち受けていた新庄駅19:57分発山形新幹線で福島へ。

今回も一寸したハプニングと素晴らしい感動を頂き楽しい一人旅でした。

その取り置き写真を纏めてみました。 ブログ【ふくしま便り】では福島地域情報を発信しております。
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