2012年12月1日土曜日

おもいっきりトルコ周遊9日間

妻がある日突然【トルコ】に行こうと云い出した。その理由は行けるとき行っておかないと悔いが残るからとか。

確かに私達にはその言葉が間違い無く当て嵌まる年齢に達している。早速旅行会社に申し込み、それから仕事の調整に・・・・・

出発前にインターネットで色々調べていたら、日本とトルコは強い友好関係が保たれ、トルコ人は日本人が大好きである事も知りました。その理由は次の様です。

明治時代、国交のなかったオスマン朝トルコの都イスタンブールに渡り、日本と【トルコ】の友好の基礎を築いた山田寅次郎。 500人以上が犠牲となった和歌山県沖でのトルコ軍艦エルトゥールル号遭難事故の義援金として当時の日本円で約5,000円(現在の約1億円)を集め、単身【トルコ】まで届けた。このことは【トルコ】の小学校の教科書にも載っていて小さい頃から教育されている。

記憶に新しいイラク戦争の際、イラクに残された日本人をその恩返しと【トルコ航空】が無償で日本へ送り届けてくれた。

トルコ共和国は日本の約2倍の面積を有し、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する。アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都は二番目の大都市【アンカラ】。(一番目はイスタンブール)

日本との時差はトルコが7時間遅れ。(日本の午後の2時がトルコでは朝の7時と云う事になる)
気温は日本より少し寒く乾燥気味で、肌荒れに注意が必要。

云うまでもなくトルコ石・トルコ絨毯・大理石・革製品(羊皮)・陶器等が有名で、石炭の埋蔵量が多く火力発電が主力。次いで地熱発電・風力発電と続き、原子力発電は一基も無い。

11月15日
東京(成田)10:05発→モスクワ(シェレメチボ)へ約11時間。
そこから乗り継いて約2時間半イスタンブールへ。終日移動後ホテル。

11月16日
専用バスで【イスタンブール】から廻って【イスタンブール】に戻る総走行距離が約2,500㎞。
そのため超高級バス(ベンツ製)とドライバーは二人、全てが行き届いてた。
メルデス ベンツ
昨日(今日の夜中2時)の【シェラトンホテル】到着が夜中と、時差ぼけとで相当辛かったがいよいよ旅の始まりです。

専用バスで【イスタンブール】からダーダネルス海峡をカーフェリーで渡り、陸路(325㎞/約6時間)チャナッカレへ。

                   その様子を動画にまとめました。
ダーダネルス海峡
一緒に飛び続ける【カモメ】
フェリーは隙間なくバス・乗用車を積んでチャナッカレに到着。

チャナッカレから陸路トロイへ60㎞(約1時間)  『世界遺産トロイ遺跡』
ギリシャ軍とトロイ軍の戦いは10年にもおよぶ戦いも決着を見ることが出来なかった。

ギリシャ軍にある戦略が浮かび、車輪の付いた大きな木製の馬を作り、その中に兵士が隠れると云う戦略。


兵士達は声を顰(ひそ)め隠れ、残りの兵士はあたかも戦いを放棄し、ギリシャに戻るよう見せかけて舟でした。
世界遺産トロイ遺跡

規模はそれほど広くはないが全く人の手を加えていない事から世界遺産に指定された。

ここまでの撮り置き写真はこちらです

11月17日
同じ専用車でアイヴァリク→エフェソスへ陸路250㎞(約3時間45分)

エフェソス観光。【エフェソス遺跡】

トルコ・エーゲ海沿岸で最も大きい都市はイズミールで、エフェソス遺跡はイズミールから南方70㎞にあるセルチェクの郊外3㎞に残された東西に500m 南北に1,500m程の大規模な都市遺跡。

エフェソスの輝かしい歴史は古代都市ギリシャ~古代ローマ~ヘレニズム~ローマ帝国~東ローマ帝国の時代へと至る長期間繁栄した。
図書館跡
24,000席の円形劇場
この時代にも売春宿が存在し、大通りの大理石の敷石にその案内を彫ってあった。

敷石の写真はこの通りを過ぎた左側(左足)にその宿(右下の長方形)あり、そこには女性(長方形上の女性)がいて、そのハートにお金(ハートの中の黒い穴)を投じれば貴方のものになりますと記してあります。

前の写真で案内した図書館の道路真向かいに在り、図書館で勉強したあと人目を避け地下に掘られた通路を通って、社会勉強へと向かったとも・・・・・・・日本語ガイド;メルテム・ヤラルさん

長方形はクレジットカードもOK・・・・??(*^O^*)  添乗員;佐藤真奈さん(早速頂戴しました)
売春宿の案内石
旧跡観光の後は、革製品店へ

革製品加工・販売店
道中、羊の放牧民の姿が多く見られ羊製品(肉等)等が盛んでである事がうかがい知れた。

そしてこのお店に入って直ぐ専用の革製品のファッションショーと全くそつが無い。

それがこれだ
これまでの撮り置き写真はこちらです
11月18日
世界遺産【パムッカレ】
石灰棚・・二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が石灰の大地中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かし地下水となり、その地下水が地熱で温められ地表に噴き出して温泉となり、その温水の中から石灰が沈殿して、純白の棚田の様な景観を作り出している。
温水の廻らない所は黒く変色してしまうので、その白さを保つため人工的にお湯の流れを変えて管理しているとか。
純白の石灰棚
【ヘエラポリス遺跡】
パムッカレ(石灰棚)の一番上にある遺跡。

ローマ帝国の温泉保養所として栄えた。その時代にも地震で破壊され、その後復興したものの1354年の大地震で完全に廃墟となってしまう。

ローマ劇場・ローマ浴場跡が残っている。
ヒエラポリス遺跡

近くには有料の遺跡温水プールがあり観光客が温泉浴を楽しんでいた。

入浴をしなければお土産店が併設されているため、自由に出入りする事が出来ました。
遺跡温泉プール
専用車でパムッカレ→コンヤへ410㎞(約5時間30分)

【メヴラーナ博物館】
メヴラーナ教団の創設者ジェラルディン・ルーミーの霊廟。

6,500平方メートル敷地にはメヴラーナをはじめとする教団の発展に尽くした名僧達の霊廟、資料室、修行場などがある。

メヴラーナ博物館(ジェラルディン・ルーミーの霊廟)
塔(ブルーの塔)の下に創設者の【ジェラルディン・ルーミー】、その周りに弟子達が眠っている。
そのお祈りは純白のドレスを着て、右手を上げ手のひらを天に向けて左手を下げ、音楽に合わせてゆっくり回り続ける。
右手で天から幸を頂き、左手から信者に幸せを施す・・・・・
資料館内
11月19日
コンヤ→カッパドキアへ専用バスで陸路230㎞(約3時間)

延々4車線の続く直線道路【ローマから中国までの旧シルクロード(絹の道)】。

途中今でも当時の姿を残している【隊商宿(キャラバンサライ)】を見学。

この【絹の道】にはキャラバン隊が一日に旅が出来る30㎞~45㎞間隔で建てられていて、周辺には何もないところに建てられた宿は、宮殿(サライ)の様に大きく立派な建て物である事からキャラバンサライと呼ばれる様になった。

滞在も一日でなく三日間も滞在する商人を増やし、街を活性化する事を奨励する為に食事や飲み物を充実させ、靴の修理や動物(ラクダ・ロバなど)の世話まで宿泊期間中は全て無料でサービスをして、より多くの商人が訪れるように工夫をした。

その取り組みにより【セルジュク】トルコは交易による多大な利益を得て繁栄の道をたどる事になる。

隊商宿(キャラバンサライ)
中庭がある二階建ての建物で、一階は取引所、倉庫、風呂、食堂、管理人や使用人の住居。

二階は商人達の宿泊施設となっていて、夜警の役職が常駐し安全も確保されていた。
宿の内部
中央はお祈りをするための建物で、左右に取引所、倉庫、風呂、食堂、管理人や使用人の住居。
一番奥が動物たちの畜舎。


更に専用車で移動して世界遺産【カッパドキア】観光。

アナトリア高原中央部に位置し、約100㎢にわたって岩石地帯が広がる大地。

キノコや煙突の様な形の奇岩が林立し、ローマ帝国の弾圧から逃れたキリスト教の修道士達が、カッパドキアに移り住み柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作りました。

その地下都市は地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なもので、地下一階のワイン製造所、地下二階の食堂、居間、寝室など収容人数に合わせて自由に掘り進められました。
地下都市内部
外部からの進入を防ぐ石の扉(転がして通路を塞ぐ)
石の扉
洞窟住居の一般家庭でティータイム。
現在もこの洞窟住居で生活をしているご家族を訪問して、トルコ紅茶のチャイを頂きました。

中にはトルコ絨毯織機、その織機で織った鮮やかな絨毯を惜しげもなくまんべんに敷いてあり、ほのかなぬくもりが身体全体を暖めてくれました。

カッパドキアは寒さが厳しく、ストーブ(燃料は石炭)は欠かせない様です。
洞窟住居の居間
そして今夜の宿は洞窟ホテル。到着したのは5時前でもあたりは薄暗くなっていて、こんなロマンチックな光景をかもし出していました。(トルコの夜明けは遅く、夕暮れは早い)
明かりが幻想的な洞窟ホテル
くりぬいて作ったとは思えない内部
いよいよ明日は旅の終盤、カッパドキアの上空を熱気球に乗って・・・・・・・

11月20日
夜明けが遅い薄暗い朝5:10分、熱気球会社からの迎のバスで飛行地へ。
迎へに来てくれたドライバーさんの陽気さであっという間に到着。

飛行条件が整うまでそこのレストランで朝食を頂き心躍らせる。外は大分冷え込んでいる様子。
      

       さ~ぁ飛行開始。
短い足でバスケットに乗り込むのが大変
気球に熱風を送り込んで上昇開始。
思ったより凄い迫力
まるで巨大なシャボン玉が飛んでいる様な感じ、バルーンとバルーンが接触しながらもゆっくりゆっくりと風下へ流れて行きます。


奇岩を眼下に凄い迫力
一つのバスケットに約20人から25人程乗る事が出来る大きさ、中には5~6人の小さな気球もありました。

パイロットを含め総勢22名のフライトでした
着地の後は無線で連絡を取り合って追えかけて来た、バスケット運搬専用トレーラーから降ろしたたテーブルに並べたグラスにシャンパンを注ぎ込んで、    かんぱぁ~い。

カッパドキア→アンカラへ陸路280㎞(約4時間30分)ホテル到着。

11月21日
アンカラ(ホテル)→イスタンブールへ陸路450㎞(約6時間)

世界遺産【イスタンブール旧市街観光】ブルーモスク。

 このブルーモスクの高さは、43m、直径23.5mの巨大なドームと
その周囲には、ミナレット(削った巨大鉛筆を垂直に立てた様な塔)と呼ばれる尖塔が6本あり、このミナレットの数が多いほど格式の高いモスクらしい。世界で 唯一6本のミナレットがあるのは、ここブルーモスクだけ。

内部はとにかく天井が高く巨大な円形ドーム。

中央天井
そこから歩いてトプカプ宮殿
 このトプカプ宮殿 は、コンスタンティノープルを征服したメフメット2世が1459~1465年という7年近くの歳月をかけて建設させたもの。

現在は武具展示室となっており、明治時代にイスタンブルに滞在した日本人、山田寅次郎がアブデュルハミト2世に贈った日本製の甲冑が展示されている。
宮殿入り口
グランドバザール散策。

イスタンブールの旧市街にあるグランドバザールは約4000軒もの店が出店していて、貴金属から絨毯、衣料品、陶器やアクセサリー、トルコのお守り目玉など何でも売られています。

出入り口だけでも20ヶ所もあり、中は迷路の様になっていて通ってきたところを覚えていないと迷ってしまいます。

通路を歩く観光客に合わせて、その国の言語で店員が声をかけてきます。店員がその観光客の国籍を見分ける事が売り上げアップに繋がっている様です。

グランドバザール

ガラタ塔での夜景&ベリーダンスディナーショー。

トルコ共和国のイスタンブールのカラキョイ地区に ある石造りの塔。9階立てで、高さは66.9メートル。イスタンブルの街を一望でき、人気の 観光名所となっている。

ビザンチン帝国時代の528年、アナスタシウス帝が灯台として建設させたが1204年に第4次十字軍遠征で一度破壊されてしまいます。

1348年にはジェノヴァ人が残ったがれきを利用して再び建設することになります。

その後捕虜収容所や天文台、火災監視塔などとして使われるものの、2度の火災や嵐などで一部損壊。現在の姿になったのは、1967年以降のことです。
それ程広くない最上階はパブスナック&レストランとして使用され、ステージでベリーダンスディナーショーが行われています。

レストランのある展望テラスから360度のパノラマ夜景はイスタンブール随一と云われています。

灯が点ったガラタ塔
ガラタ塔
360度楽しめる塔からの夜景
11月22日(帰国)
イスタンブール発→モスクワ(シェレメチポ)へ
乗り継いでモスクワ(シェレメチポ)発→東京(成田)

参加者全員元気に無事帰国出来ました。

今回楽しい旅が出来たのも、ご一緒頂きました皆様の温かい心と、添乗員(佐藤真奈)さんの笑顔と優しいお気遣い、そして現地ガイド(メルテム・ヤラル)さんの豊富な知識でご案内頂いた事に感謝しています。

本当にありがとうございました。

願わくば、又いつか何処かでお会い出来る事を・・・・・・・・・・。

17日から21日までの撮り置き写真はこちらです。

趣味の菜園【吾妻の雪うさぎ】にも是非お立ち寄り下さい。



1 件のコメント:

  1. 早速の編集おつかれさまでした!楽しく拝見させて頂きました。
    歴史的な背景しっかり覚えてらっしゃって素晴らしいですね。
    クレジットカードの件もしっかり覚えてましたねー(笑)

    またどこかでご一緒できる日を楽しみにしております。
    これからも元気に楽しいご旅行を!! 佐藤

    返信削除