2025年3月30日日曜日

日光・草津・川口湖の旅

3月23日(日)~26日までの四日間暫くぶりの旅に出かけて来ました。

何時もの通り旅の工程表を作り出発。

     

一日目
昨年二月、【日光金谷ホテル】に宿泊した折にも、日光東照宮やその近くの【日光山輪王寺】、水が落ちていない【華厳の滝】を散策。

今回は、残雪が残るその【日光山輪王寺】別院【日光中禅寺】を時間を掛けて散策。

勝道上人が、刀一本で桂の立木に彫ったと伝えられ、現在も地に根を張り、訪れる人々を穏やかな表情でお迎えしておられます。

この立木観音は国の重要文化財に指定されています。

昼時、立ち寄った【レストラン メープル】のビーフシチューが凄く美味しかった。

前回、水が落ちてない華厳の滝だったので再び立ち寄り、水の量は少ない感じがしたが97mの高さから流れ落ちていた。

早めに予約をしていたホテルに。

二日目
国道122号線を走り、目的地の【富弘美術館】到着も休館日。

国道333号・353号を通り第二の目的地、約30年前に訪れた事のある【子持自然恵農場】到着。

この農場は群馬県からも推奨されいて、ニワトリの放し飼いで名を売り、飼料にも拘りのびのびと飼育されその卵も格別で、最初に訪れてから30年間、毎月一箱30個入りを送って頂いています。

アポも取らずに伺いスタッフも方々もビックリされていました。

場長の瀬戸さんもお年を重ねておられ、現役で後任の指導に力を入れているとの事。

その側で人なつこく近寄ってくる鶏(ニワトリ)

これからも送り続けて頂くことをお願いし、産みたての烏骨鶏の卵を頂いて、姿が見えなくなるまで手を振って見送って下さいました。

今日の宿泊地は以前も訪れた、草津温泉【三共リゾート 木の葉】到着。

このホテルグループは国内に43もあり、その中の能登にある【ホテル海舟】は先の大地震で未だに営業されていないとか。

食事前にホテルのシャトルバスで夜の湯畑に。

浴衣を着た多くの外人さんの観光客で賑わっていました。
湯畑

夜の湯畑

天然温泉に浸かり疲れをほぐし、宿ご自慢のお料理を頂き就寝。

三日目
遅めの朝食を頂きホテルを9時に出発。

各、高速道を乗り継いで河口湖方面へ。

思ったより早く着いたので、明日の予定を前倒しして【忍野八海】散策。 

好天ながらも黄砂飛来初日で何となくすっきりしなくとも、ここも外人さんで埋め尽くし、日本人の姿は疏ら。

ペットボトルに富士の湧き水を汲もうとする人達が列を作っていた。
今日の宿泊地【ふふ河口湖】3:30分到着。

大勢のホテル従業員さんのお出向かいに気を良くし、案内された館内は木の香りが漂っていて身も心も癒やされた。

部屋への通路にも木の香りが

部屋は露天風呂付きの広々としたスイートルーム。



黄砂が邪魔をするも部屋から見える富士山

奇しくも昨日の【木の葉】と同じ部屋番号。

館内は部屋着OKで嬉しい。

夕食会場は家族毎にパーティションで仕切られ、一人のスタッフが2テーブルを受け持ちその場で取り分けてくれる。

それがこれ


それがこれ

ライトアップされたお庭に、大きな焚き火炉では立ち上がる炎が風に揺られ、約二時間の食事時間が短くも感じた。

朝食も同じ会場で、夕食時には見えなかった富士山の裾野が、河口湖に入り込んだ様に見えていた。
豪華な朝食

四日目
予定の忍野八海は昨日散策したので、次の目的地はホテルから車で10分程にある

入り口を入ると目の前に黄金色に輝く柔らかい時計で有名な【サルバードル・ダリ】のレースを纏ったサイが目に付く。

河口湖のほとりの大きな敷地にコンサートホールやオルゴール館などがあり、その凄さにビックリ。

時間によりその建物でそれぞれの催しがあり、何時間でも楽しめる。

オルゴール館でバイオリンとピアノで【白雪姫】の曲に合わせて、サンドアートの演出が素晴らしかった。

黄砂の飛来が無ければ、スッキリした青空もと河口湖に映える富士山が見えたのだろうが、年に一度しか遭遇しない黄砂にけむる河口湖も富士山も良しとして????

帰りの東北自動車道、二本松インターから仙台までの上下線が強風により、大型トラックの横転事故などで通行止めになり、廻り道の国道4号線は凄い渋滞となり、福島まで僅か20kmが2時間もかかり、自宅に着いたのが8時過ぎ。

総走行距離は1,082kmでした。

2025年2月6日木曜日

母犬が瀕死の子犬を動物病院へ

先日、表題の感動のニュースが報道された。

以前、【トルコ旅行】に出かけた事もあり、どことなく懐かしさを感じていた折の話題。

トルコ・イスタンブールの動物病院に、瀕死の子犬をくわえて現れた母犬。

入り口に子犬を置くと、心配そうにペロペロ舐めている様子に気づいた獣医師が、すぐさま子犬を保護しドライヤーで身体を温めたりと治療に取り掛かっている様子を、不安げに見守る母犬。

凍死寸前だったという子犬は、獣医達の迅速な治療によって一命を取り戻し、元気に育っていると云う。

しかし、なぜ母犬は動物病院に子犬を連れてくる事が出来たのか?

獣医師によると『ここに連れて来れば助けてもらえる』と理解して子犬を連れて来たと言います。

野良犬だった母犬は路上で出産しますが、その後弱ってしまった子犬達を見つけた人が、1匹の子犬を病院に連れて行き保護されると、それを見た母犬は「ここに連れて行けば我が子を助けてくれる」と理解して連れて来たと云う。

そして現在は病院で母子ともに面倒を見ていて、元気に過ごしているということです。

皆さん、これを見てどう感じられましたか?

(ひと)は当たり前のことですが、子を思う親の気持ちは改めて考え直す事ですね!

2025年2月1日土曜日

今年(2025年)の節分は2月2日

節分は字の如く季節を分けるもので、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指し、その内、立春の前が一般的に節分と呼ばれています。

では何故その年により変わるのでしょうか。

一年は通常365日ですが、実際に地球が太陽の周りを一周するのは365.2422日、365日と6時間弱となっており、この6時間弱のずれは4年経つと累計がほぼ1日になるので、そのため4年に一度、一年を366日とする「うるう年」を設けて調整しています。

そのため2025年の立春は2月3日となり、その前日である節分も2月2日となります。
 
        
         

因みに1984年の節分は2月4日で、その節分が2月2日になるのは2021年以来で、その前は1897年で、1984年は2月4日だったので、必ずしも「2月3日」が節分とは限りません。

節分と云えば「豆まき」ですがその由来は?
鬼を退治するために豆をまくようになったのは、中国から伝わって来た「追儺(ついな)」と云う行事が関係し、「追儺」は災いの象徴である鬼を「方相氏(ほうそうし)」と云うキャラクターを追い回す行事で、日本に伝わって来た当初は、柔らかい矢を用いたり、鼓を鳴らして鬼を追い払っていたようですが、いつのころからは豆をまくようになりました。
追儺式

        

又、その豆を歳の数を食べる風習があり、歳を重ねるとたんぱく質不足に陥り、植物性たんぱく質を摂取する意味も分かりますね。

2025年1月1日水曜日

新春(曲;一月一日)

 


巳年は蛇のように知恵深く、粘り強い性格を持ち古代から再生や永遠の象徴とされ、皮を脱ぎ捨てて新たな姿に生まれ変わる姿がその象徴で、新しい挑戦や変化に対して前向きな姿勢を示し、金運の象徴としても知られます。

   年の初めに、皆様方のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2024年12月27日金曜日

神飾り

歳を重ねると一年の過ぎるのが早く感じるのは私だけでしょうか?

当地福島も24日Xmasイブ・25日のXmasは、約18㎝程の雪が積もり、文字通りホワイトXmasでした。

そのXmas飾りを取り外せば、直ぐお正月の準備。

毎年、新しい年を迎える準備をしながら、平穏無事の願いを込めて少し早めの今日、飾りつけを終えました。

皆さんどうぞ良いお年をお迎え下さい。

2024年12月18日水曜日

おじさんの生きがい?!

 昨日(17日)霙(みぞれ)交じりの午後、取引先の山形県米沢市【カクリキ味噌】さんへ。
安政4年創業花角味噌

取引をさせて頂いてから8年、無料の高速道も開通した事もあり約30分の道のりなので、ドライブを兼ね月に一度位の間隔で訪問。

その時必ず立ち寄る所がこの【道の駅米沢】。
道の駅米沢

今日、この道の駅セルフ式のレストランホールで働く、表題のおじさんを暫くぶりで見た。

霙交じりの平日午後とあって客数はごく僅かだったが、私達も含め出来上がった牛肉系のセットを、テーブルに運んで食べ始めいると、その超几帳面なおじさんが何時ものペースでお仕事をされている姿が目に入る。

テーブルの消毒から始まり、テーブル上のメニー立てや、3~4個の小さな案内カードを腰を低くして物差しで計ったように並べ替える。
このテーブルも少し乱れていたが、帰る時にはキチンと並べてあった。

最後に乱れている椅子を押し込み、並んでいるテーブルを遠くから眺め整列させて別の場所に移動。

どんぶりを頂きながら勝手な想像を。

この おじさんはどんな経歴の持ち主だったのかと?
警察官?・教諭?・会社の社長?・・・・・そしてお住まいは嘸(さぞ)かし????

思わず私も乱れている椅子を押し込んで、何時までもお元気でお仕事を続けられる事を願って帰って来ました。


2024年12月17日火曜日

2024 MIKI エクセランド

12月12日、本社招待の代理店と営業所が集う、年に一度の祭典 MIKI エクサランド2024がパシフィコ横浜国立大ホールで開催され出席。

他、大阪・九州でも開催。

二階席も含め約5000人の参加でした。

総合司会は中井 美穂さんが務められ、第一部講演の竹中直人さんが紹介され、ド派手な服装で軽やかに壇上に現れると広い会場が割れんばかりの拍手。

トーク内容もモノマネや大河ドラマ「秀吉」「シャル ウィ ダンス」でのエピソードを面白おかしく話され、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

そして、第二部は中井美穂さんとのデスカッションに、日本バレーボール協会会長の「川合 俊一」「古賀紗理那」「甲斐優斗」の各氏登壇され、男女共世界に誇れる強豪チームになった事を等を話してくれました。

川合さんの現役時代の監督で、世界の大砲と云われた「大古誠司」氏の厳しい指導等の話も出て懐かしく感じました。

と云うのは昔、私もバレーボールでインターハイ全国大会・国体・オールジャパンに出場した1960・61年の大古氏は、まだ中学一・二年生で知ることはなかったが、その先輩で天井サーブ・名セッターで有名な「猫田勝敏」氏とは、大阪府立体育館でのオールジャパン会場で一緒だった事を後に知る。

コンサートでは
1973年、キャンディーズのメンバーとして歌手デビューされ、数々のヒット曲を送り出した「伊藤 欄」さん。

新曲とキャンディーズ時代の懐かしい曲を取り混ぜて、10曲以上衣装替えもして聴かせて頂きました。

約5時間の癒やしの時間を過ごし後、全員収容の会場がないため各ディナー会場に移動。

私達は【グランド ニッコー東京 台場】に、大型バス24台で夜の都内を約一間半走り到着。

約1000人が収容出来る広いコンベンションホールは満杯。

ミキ・プルーンジュースで乾杯の後、総料理長からMIKI食品を取り入れた料理内容の説明があり、次々に運ばれて来る。



ディナー終了後は当ホテルに泊まる組、又それぞれ明日の予定に合わせて別のホテルに泊まる組。

私達は翌日10:00発の はとバス【シンフォニーランチクルーズ】を予約していたので、お台場駅からゆりかもめで新橋行へ。

新橋駅から都営浅草線で宝町へ出て、京橋の某ホテルへ。

13日、バス乗り場の東京丸の内南口へ。

コースは皇居・東京湾クルーズ(ランチ付)・東京タワー・浅草浅草寺。



東京タワーに向かう途中少し渋滞があり、原因は料理研究家【服部幸應】氏の告別式だった。

コース最後は夕暮れ時の浅草寺散策。

平日にも関わらず着物姿の外国人などで賑わい、ライトアップされた本堂・宝蔵門・五重塔がすごく奇麗でした。


東京駅から東北新幹線で帰宅。


2024年12月15日日曜日

ミツバチの無王群

 先日、放置しておいたコンクリーの会所枡(溜枡)に、ニホンミツバチが巣を作っていたので空の巣箱に移動させた事を記しましたが、無事移動させたがどうやら無王群のようです。
原因は枡蓋(溜枡)に作っていた巣を切り離した時に、蜜の入った巣が地面に落ちその下敷きになって女王蜂が圧死してしまったようです。

無王群(女王蜂の居ない)の営巣は天板に塊まらず、巣箱の側面に塊まり、上から巣を作るのに対して横の方から巣を作り始めます。
巣箱の下から覗く

女王蜂がいる正常な巣は天板から作り始め、常に働き蜂に囲まれて世話をされ、巣房はだんだん下に伸び、その女王は多い時には約一日1,000個もの卵を生つけるとか。
同じく巣箱の下から

ミツバチは女王蜂がいないと、最終的には消滅してしまいます。

理由は無王群の働き蜂(雌蜂)が産卵し始めますが、交尾しないため無精卵しか生む事が出来ないため、その無精卵からは雄蜂しか生まれないためです。

女王蜂は一つの巣房の中に1個、働蜂(雌蜂)は数十個産み付けますが、無精卵の為前記したように生まれるのは雄蜂だけなのです。

では、なぜ働き蜂が産卵するのでしょうか?

女王はいつも働き蜂(雌)が産卵しないように、又王台が作れないように何かの液を分泌し、働き蜂の間で口移しされます。

しかし、女王がいなくなると封印は解け、交尾してない働き蜂が雄蜂になる無精卵を生み、群れの維持を少しでも図ろうとするのか?、それは謎です。

我が家の無王巣箱の蜂達も少しでも快適に長生き出来るように、防寒対策をしてやりました。

そして、こちらは正常な群れで、厳しい寒さに耐え無事越冬出来るようにと同じく防寒対策。

少しでも花粉や蜜を集める事が出来る様に、周りの花類(菊など)は倒さず残してあるので、風の無い暖かい日は巣箱からの出入りも目立ち、花粉を一杯抱えて戻って来ています。

ミツバチ(西洋蜜蜂)等も含め、いなくなってしまうとスーパーから果物や野菜が無くなってしまうとも云われます。

日本固有の生き物の存続が危ぶまれている今日、少し蜜を頂いて大事に守って行きたいと思っています。

8年前、有志を集い【ふくしま和蜂会】を結成。

巣箱作りから始まり、自然捕獲の方法や飼育のあれこれを話し合い乍ら楽しんでいます。